目の合へば笑み返しけり秋の蛇
笹尾清一路
ある秋の日、ふと出くわした一匹の蛇。
ひやりとした空気をまといながら、ぬるりと姿を現す。
その蛇と目が合った。
掲句にあるのは、そんな“ほんの一瞬の出来事”です。
「目の合へば笑み返しけり」という表現には、作者の心の動きが静かに滲んでいます。
古来、蛇は〈再生〉や〈知恵〉、あるいは〈畏れ〉の象徴でもありました。
そのような背景を持つ生き物が、笑みを浮かべるように見えるという経験は、単なる錯覚以上の「心の変容」のようにも感じられます。
写生は「見えたものを、ただ正確に描写する」ことではないと、私は思います。
その瞬間に、何を感じたか、心がどう動いたか。
その心の動きを、もっとも自然なかたちで言葉に残したのが、「笑み返しけり」という一語だったのだと思います。
この「笑み」は冷たいものだったのか、温かいものだったのか……。
「秋の蛇」という季題が、この一瞬の出来事に、どこか静かなもの寂しさや、柔らかい間合いを宿らせているようにも思えます。
ひとりの人間のやわらかさと、それをそのまま句にできる誠実さに、私は心を動かされました。
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。
【菅谷糸のバックナンバー】
>>〔1〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基