神保町に銀漢亭があったころ【第109回】川嶋ぱんだ

松野のうなぎと、ちょっぴり浸かる

川嶋ぱんだ(つくえの部屋Founder)

銀漢亭を訪れたのは今までに三度。

一度目は、平成30年1月23日に。僕が訪れた一月は、大寒波が襲い、東京は一面真っ白な雪だった。島田牙城さんに連れられて、月野ぽぽなさんの角川俳句賞授賞式の二次会で銀漢亭に入った。覚えているのは、関西で普段からお世話になっていた「雲の峰」主宰の朝妻さんがおられたことくらい。僕は、ほとんど知らない人たちの背中に隠れるように店内にいた。店内は山手線のラッシュアワーのように人がぎゅうぎゅうで賑やかで楽しげな雰囲気に包まれていた。二次会が終わり銀漢亭のまえで記念撮影をして解散すると、店内の暖かさと打って変わって冬の夜の厳しい寒さだった

二度目は、平成31年3月5日に。師匠のわたなべじゅんこと、二人誌『Ça va !』を発行していて、その二号で選評を賜った池田澄子さんにお会いしに愛媛県松野町から東京に出た折に。平日で街は賑やかなのに、目的だった銀漢亭は閉まっていた。シャッターには、「俳人協会賞授賞式のため三月五日は休業します」的なことが書かれていた。来た道をとぼとぼと帰って東京メトロの神保町駅を目指した。

三度目は、その翌日に師匠のわたなべじゅんこと。店内は常連さんで賑わっていたと思う。カウンターを通り抜け、奥の席に着き、東京での反省会的なことをした。余計なことだったが、帰り際に出来立てほやほやの『Ça va !』の名刺を伊藤伊那男さんに渡すと、「わざわざ遠いところから」と言われたのを覚えている。これが最後の銀漢亭。どっぷり浸かることはできなかったけど。

その最後に銀漢亭を訪れた年の夏に、元「船団の会」の近江文代さんが、「銀漢」の森羽久衣さん、今井麦さんと松野町へ遊びに来てくれた。農家民宿わらびで宿泊し、一緒に天然鰻を食べ、お酒を飲みながら句会をした。森羽久衣さんだったか、今井麦さんだったか記憶が定かではないが、「そうそう」と、その年の銀漢5月号を見せてくれた。そこの「銀漢亭日録」の3月6日に「愛媛松野町の川嶋健佑さん来店。」と書いてあって、仰天。ちょっぴり銀漢亭に浸かれた気分だった。


【執筆者プロフィール】
川嶋ぱんだ(かわしま・ぱんだ)
1993年大阪府生まれ、愛媛県松野町在住。
つくえの部屋Founder。つくえの部屋オープンチャットはこちらから。




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