霜柱ひとはぎくしやくしたるもの
山田真砂年
「ぎくしゃく」を手元の辞書で引くと「①言葉・動作などがなめらかでないことを表わす。②人間関係がしっくり行っていないことを表わす。」とある。
掲句はどちらについての感慨だろう。私くらいに齢を重ねると軟骨成分がすり減って、ことに寒い日は関節がギシギシと・・・ということは幸いにしてまだないけれど、前者の場合、そのような身体に覚える違和の句として読める。後者の場合、ここに(ひとと)と三字を補えば、人間関係の不具合という意図はより明快になる。また、「ひと」という平仮名表記はフィジカルではなくメンタルな面を示唆するものと考えるなら、やはり②が定義するように、生きていく上で誰かと摩擦を生じることは誰にもあるさ、と考えてよいだろうか。
摩擦とばかりは限らないかもしれない。他人とささやかな関係を築こうとするだけなのに、どうもぎこちなくなる。思っていることを伝えようとして、あわわわと挙動不審の無限ループに搦め取られてもがく、そんなぎくしゃくだってある。
さて、そこにおかれましたる霜柱。
これもまた手元の講談社版大歳時記に飯田龍太が「霜柱には氷柱とは違った複雑なひかりがあり、気性でいえば、やや気短かな感じがある。」とユニークで素敵な解説を書いている。
この解説に則って掲句を読むと、せせこましい人間関係から一気に開放されないだろうか。
今年一年、さまざまなことで煮詰まっちゃった私やあなた。大丈夫。ひとはそういうものだもの。うんとこさ、と冷たい土を持ち上げながら、来年もまたぎくしゃくを続けていくにしても。
(『海鞘食うて』角川書店 2008年より)
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。