生きるの大好き冬のはじめが春に似て
池田澄子
『恒信風』のインタビュー記事で、池田澄子自身が、この句について次のように述べている。
池田 この間ちょっと引用して書いてくださった方が、お医者さんでね、割に俳句や短歌を読んでて、それを引用してエッセイを書いているんですよね、産経新聞かなにかに。それにとりあげてくださってたのを、とてもよくちゃんと読んでてくださってね、やっぱりわかるんだなあって思ったの。それは「生きるの大好き冬のはじめが春に似て」っていう句だったんだけど、「生きるの大好き」の裏に「大嫌い」があるっていうことでね、冬のはじめの春に似てるっていうことは、春に似ているけど冬なんだっていう、そのへんのこともちゃんと書いててくださって。
確かに、この句の「生きるの大好き」には、反対の「大嫌い」を意識してしまう。これは、池田澄子の人口に膾炙している他の句にも、例えば、「ピーマン切って中を明るくしてあげた」や「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」にも思われることだ。切られなければ、ピーマンの生まれながらに内蔵している暗さには、光はささなかった。じゃんけんに勝っていれば、別の何かに生まれていたのかもしれない。可能性の分水嶺とでも言おうか、そういう地点を思わされる。
(安里琉太)
【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「滸」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞。
【安里琉太のバックナンバー】
>>〔5〕青年鹿を愛せり嵐の斜面にて 金子兜太
>>〔4〕ここまでは来たよとモアイ置いていく 大川博幸
>>〔3〕昼ごろより時の感じ既に無くなりて樹立のなかに歩みをとどむ 佐藤佐太郎
>>〔2〕魚卵たべ九月些か悔いありぬ 八田木枯
>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅 森澄雄
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