三人で麻の服着て見つめあふ 飯島晴子【季語=麻(夏)】

4.
 これまで、俳句の即興性とか、俳句は打坐即刻の詩であるとかは、耳にタコが出来るくらい聞いている。だがどんなに速くても、何かが見えた瞬間とそれが言葉になった瞬間とはとにかく前後の順序くらいはあるのだろうと思っていた。どうにもならぬ睡蓮の蕾を前にして、現場で聞くこの話は、私にとってまことに啓示的であった。何かが見えた瞬間と、それが言葉になる瞬間とは一枚に重なっているということである。二つの瞬間の間は、無時間、無意識であるということである。俳句というかたちになった言葉で、見たり、思ったり、考えたりするということである。

 この文章は、晴子がとあるホトトギス派の俳人と吟行をした際の経験について記したものである。知人であるその俳人を自宅近くの三宝寺池へ案内したとき、晴子は水面に咲く睡蓮を発見する。睡蓮は好きな花だったが、句にしようとするといつも実物に負けてしまい上手くかたちにならなかったらしい。どうしたものかと悩んでいると、咲いている睡蓮からすこし離れたところに睡蓮の蕾が二つ三つ顔を出しているのに気がついた。晴子はこのときのひらめきのことを「ホトトギス的瞬間」と呼んでいる。しかし、その経験を句にしようとしても「睡蓮に蕾の二つ三つあり」というような平凡すぎる句にしかならず、事の経緯を同行していたホトトギス派俳人に話したところ、苦笑しながら「そういう場合、わたしが成功するとしたら、見るのと言葉とが一しょに出て来るんですよ」と言われる。そのときに得た「啓示」が、引用部の感慨である。
 よほど衝撃的な出来事だったのか、晴子はこの時期同じ経験について複数の文章で記している。「言葉の現れるとき」という俳論では、同じ経験に触れつつ自身が今まで出会ってきた三様の俳句の書き方について、次のように整理している。
 一つ目は「知ったこと、感じたことを他人に伝えるために、自分の内部ではなく、公の集会場に備えてある言葉の一覧表とでもいうような種類の言葉の中から言葉を選んで使う、というやり方」である。これは子どものときに教え込まれる「とにかくなるべく実物に添って心をはたらかしてしらべる」という方法だ。二つ目は、言葉同士の戯れに身を任せ、「対象となる物を眼前に必要とはせず、とにかくたくさんの文字を書きながらそれによってイメージをつぎからつぎへと移して、見えるものにぶつかるまで書きつづける」という方法である。これはいわゆる飯島晴子のイメージ通りであり、彼女の個々の俳句から帰納される書き方そのものである。実際、晴子自身もこれが「俳句には最上の書き方だと思っていた」と述べている。そして三つ目が、知人であるホトトギス派俳人から得た「俳句というかたちになった言葉で、見たり、思ったり、考えたりする」という方法である。「見たものを言葉を使って写すのではなく、思ったことを言葉によって伝えるのではない。ここでもやはり、〈見る〉ことと言葉の出現は同時であり、〈思う〉ことと言葉は一枚に重なっている。」おもしろいことに、晴子は二つ目と三つ目の書き方を「陸上を走るのと水中を泳ぐのとの違いはあっても、究極のところは同じである」としている。爽波との吟行も併せて、立て続けにホトトギス流の写生に薫陶を受けることで、晴子における〈見る〉ことと言葉という二つの主題が成熟していったことがわかる。
 そのうえで、「言葉の現れるとき」という文章の真におもしろいところは、ずっと実作上の観点から語られてきた「〈見る〉ことと言葉の出現」のあいだの「無時間」が、終局部で突然読者が俳句を受容するときに立ち現れる時空間へと転倒される点にある。

 俳句は上から下へ言葉に添ってゾロゾロと読み下すものではなく、一句の上下同時に眼にはめ込まれるようにうけとめられるものである。俳句一行のこの棒は、私には眼玉の直径となり得るギリギリの長さのように思えてならない。眼玉の直径は、一つの世界の直径であり、直径はその世界を決めるものである。一つの世界の重圧のかかる一行は当然、強固な、いつまでも終らない能力をもった言葉であらねばならない

 俳句を最短詩型や一行詩として定義づけようとする言説は溢れているが、「眼玉の直径となり得るギリギリの長さ」である一行の「棒」として俳句形式を捉えるこの発想には驚愕させられる。晴子にとってはおそらく同じ短詩型である短歌でも長すぎるのであり、作品全体が一挙に「眼にはめ込まれ」うるギリギリの長さこそが、俳句を特別な詩型たらしめている。
 ここでは、句を上から下へ読み下していくという時間的な継起性が、「一句の上下同時に眼にはめ込まれる」という空間的な同時性に置き換えられている。俳句が文学であり、文学が言語芸術であるかぎり、こうした空間的な同時性——すなわち「〈見る〉ことと言葉の出現」のあいだの「無時間」——は実現されえないのだが、それでも俳句という詩型をただその「直径」から定義し、肯定するというこの奇妙な俳句観に私は強く惹かれる。

  竹伐の眇の方の眼に話す  『蕨手』
  韮一本われの眼を扇ぎけり  『朱田』
  眼を伏せて一匹の鯉飼ひにけり
  竹落葉眼かすかに血走れる
  竹の華眼つむるをゆるされず  『春の蔵』

 上記のような晴子の俳句観を念頭に置くと、こうした句において「眼」と共に詠み込まれる「竹」や「韮」(あるいは「一」という漢数字)は、一行の「棒」としての俳句がねじれたかたちで表出したものだと考えることができる。とくに「竹」と「眼」の結びつきは明らかであり、第四句集『八頭』に収められた〈簟(たかむしろ)眼にちから這入りけり〉に至っては、その連関は「竹」の鋭い「棒」としての形象を越えて無意識のレベルへと到達している。

5.
〈かげろふの濃くからみたる眼玉なり 『八頭』〉という句が予告していたかのように、晴子は七〇歳のとき脳動脈瘤のためクリッピング手術を受けるが、その後遺症で〈見る〉ことが不自由になる。完全な盲目になったわけではないが「物が幾つにもダブって見える」 視覚の不調は、七九歳で自死するそのときまで続いた。それでも、七五歳のときに刊行した生前最後の句集『儚々』の帯文には「相変らず興味のあるのは、〝見る〟ことと〝言葉〟」と書きつけている。また、『儚々』刊行と同年に「鷹」誌上で行われた特集でのインタビューでは「見るといったって、だれでもが見えるものしか見えないけれども、言葉になったときに見えるということもあります」 と述べており、物理的に〈見る〉ことが困難になった段階においても、〈見る〉ことと言葉の連関を自身の主題に据えていることがわかる。しかし、こうした力強い宣言の一方で、この頃の晴子はしきりに「俳句が出来ない」と言い、師である藤田湘子に俳句を辞めたい旨を相談していたという。

  わが闇のいづくに据ゑむ鏡餅  『平日』

 晴子は二〇〇〇年(平成十二年)六月に自死する。『平日』は平成八年初頭から十二年八月発表までの作品がまとめられた遺句集だ。
 奥坂まやはこの句について「何処に据えようとも、一筋の光も射さない世界の裡では、鏡餅の鏡性は断ち切られる。太陽からの光を受け止めるはずの、純白の円やかな存在は、白濁した眼に変じ、闇の圧力を受け、闇だけを溜める。鏡餅は、古墳の石室の闇に密閉され、永劫、映すことを禁じられた幾多の鏡と同質のものと化す」 と鑑賞している。「鏡餅」=「白濁した眼」とするこの読解は、テクスト内の情報からは必然性を読み取ることができず、平明な鑑賞を基調とする本書においては明らかに異質である。そこには晩年の晴子に師事した奥坂が目の当たりにした、もはや十全には機能しなくなった晴子の「眼」が重ね合わされているだろう。

  竹馬に乗つて行かうかこの先は  『平日』

 遺句集『平日』の劈頭に置かれたこの句は「七十五歳の誕生日に」の前書きをもつ。奥坂はこの句について「「この先」に繰り広がるのは、死に至るまでの時空。竹馬に乗って「地に足の着かない」状態で進む、覚束ない旅は、もはや現し世から逸脱しかかっているのではないか」と述べる。この読解に大きな異存がある訳ではないが、しかし、こうした死に色濃く縁取られた読みが、遺句集として再構成された『平日』を事後的に繙いたところから導き出されていることもまた事実だ。七五歳を迎えた頃の——すなわち『儚々』を刊行した頃の——晴子は依然〈見る〉ことと言葉に強くこだわっていた。むしろ、眼力が衰えたことでそのこだわりはより一層強くなっていたともいえる。
 晴子の句業を初期(『蕨手』『朱田』『春の蔵』)・中期(『八頭』『寒晴』)・後期(『儚々』『平日』)に分けるとして、私が偏愛するのは初期の句群なのだが、「〈見る〉ことと言葉」という主題からその完成度と調和を測るならば、迷わず後期の作品を挙げなければならない。不謹慎かもしれないが、強力すぎる眼力が衰えたことで却って外界に対するレンズの度数と言葉に対するレンズの度数のピントがぴたりと合い、「何かが見えた瞬間と、それが言葉になる瞬間」とが一枚に重なっているような境地へと至ることができたのではないだろうか。
 そしてまた、遺句集の巻頭に配されたこの句を読むとき、晴子における「竹」と「眼」——および「竹」と俳句——のふかい連関を考慮してみたくなる。この句は晩年へと至る心境を軽妙に告白した句であると同時に、物理的に〈見る〉ことが困難になった地点から、ここから先は竹馬という名の言葉(≒俳句)をよすがに進んで行こう、という宣言でもあった。ここで歩行を補助するための道具である杖ではなく、自身の「総体」をあずけることで地に足が着かず、不安定だが遊戯性のある遊具である「竹馬」を文字通りの相棒に選ぶところに、飯島晴子を飯島晴子たらしめる強靭さがある。その白く濁った眼はおぼつかない足許ではなく、眼前にかぎりなく広がる世界に向けられていたに違いない。眼球はもはや外界の何ものをも映さなかったかもしれないが、しかし、鋭く血走り、力強くみひらかれている。一行の棒がぴったりと嵌め込まれたその眼球は、いつまでも瞑ることを許されない。

(柊木快維)


【サークルプロフィール】
愛媛大学俳句研究会
俳都・松山を拠点に活動中。現在、会員19名。主な活動は週1回の句会に加え、ときどきの連作句会・吟行・読書会など。下部組織に「深夜散歩部」「フリスビー部」「凧揚げ部」などがある。BOOTH(https://booth.pm/ja/items/7629894)にて機関誌『蜜柑』を絶賛発売中なので、よろしくお願いします。


【執筆者プロフィール】
柊木快維(ひいらぎ・かい)
2003年高知県生まれ。愛媛大学俳句研究会・新京大俳句会・「noi」・「浮遊」。
第5回全国俳誌協会新人賞、第9回俳句四季新人奨励賞受賞。


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