京なれやまして祇園の事始 水野白川【季語=事始(冬)】


京なれやまして祇園の事始

水野白川

本日、12月13日は「事始(ことはじめ)」で近畿地方では本日より正月の用意を始める。ホトトギス新歳時記によれば「とくに劇界、花柳界、茶道関係などの人々の間では、弟子は師匠の家に鏡餅を贈って祝うしきたりがある。歳暮御祝儀もこの日からはじめる。年末のあわただしい街の中に年を迎えるという一脈の清新の気を漂わせる」とある。毎年この日に、色鮮やかな着物姿の芸舞妓が師匠の家を訪れて、「おめでとうさんどす」と新年の挨拶をするニュースが流れる。このニュースを見るともう年末で早いなと思う。掲句の「京なれや」は「京都らしいなぁ」という詠嘆の意味で使われ、全体の句意は「祇園の事始はさらにいっそう京都らしく風情があるなぁ」と読める。まさに先のニュースを実感を込めて575に読んだ句である。

さて、話は変わるが、昨日、創業約460年という岐阜県の老舗会社を訪問した。創業年が1560年なので、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取った年にできた会社である。創業当初は鋳物業を営んでおり、金属を溶かして鍋や釜を作っていたが、今は機械部品などを製造している。商談後の雑談の中で、先方の担当者が面白い逸話を話してくれた。鋳物業は火を使って金属を溶かすので煙が立ち込めて空へ登る。その煙があたかも狼煙のように見えたらしく、織田信長が鋳物屋に怒ったらしい。鋳物屋は煙が立ち上らないように苦心したとのことで、実話か否かは定かではないが興味深いエピソードである。歴史上の偉人が身近に感じさせる逸話であった。

塚本武州



【執筆者プロフィール】
塚本武州(つかもと・ぶしゅう)
1969 年、立川市生まれ。書道家の父親が俳号「武州」を命名。茶道家の母親の影響で俳句を始める。2000年〜2006年までイギリス、フランス、2011年〜2020年までドイツ、シンガポール、台湾に駐在。帰国後、本格的に俳句を習い、2021年4月号より俳誌『ホトトギス』へ出句。現在、社会人学生として、京都芸術大学通信教育部文芸コース及び博物館学芸員課程を履修中。国立市在住。妻と白猫(ユキ)の3人暮らし。



【塚本武州のバックナンバー】
>>〔97〕山眠る細き蛇口のサモワール 満田春日
>>〔96〕たかだかとあはれは三の酉の月 久保田万太郎
>>〔95〕ある朝の冠雪富士の一部見ゆ 池田秀水
>>〔94〕菰巻いて松は翁となりにけり 大石悦子
>>〔93〕海に出て木枯帰るところなし 山口誓子
>>〔92〕おのづから腕組むこともそぞろ寒 坊城としあつ
>>〔91〕野分会十とせ経しこと年尾の忌 稲畑汀子
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>>〔89〕歯をもつてぎんなん割るや日本の夜 加藤楸邨
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>>〔87〕角切の鹿苑にある静と動 酒井湧水
>>〔86〕今もある須磨療養所獺祭忌 橋本蝸角
>>〔85〕ゴーヤチャンプルなるやうにしかならぬ 広渡敬雄
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>>〔83〕十一人一人になりて秋の暮 正岡子規
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