
芽吹く山知らぬ路なり行くよりなし
加藤知世子
自分から俳句をはじめた、というよりも「誘われて」「なんとなく」俳句をはじめた人も多いだろう。
この知世子という人も、教師をしていた夫の職場で流行っていた俳句の付き合いに巻き込まれる形で俳句をはじめた。夫の同僚たちにかなり強引な形で句作に誘われ、恥ずかしがりながら夫と一緒に投句したりしているうちに、俳句の道に入ったようである。
こういう、自分からは俳句の道に入らなかっただろうなという人が結構いる。例えば星野立子も虚子の娘でなかったならばどんな人生を送っていただろうか。
わたしはといえば、近所においちゃんに「公民館にせぇ、おらぁ俳句出したで見に行ってくりゃ」と誘われて義理で見に行った。それが今や、こんなに俳句どっぷりの人生を送っている
「俳句、おいちゃんに出来るのなら、わたしも国語得意だったし出来るんじゃない?」
などと勘違いしたまま進んできた。俳句を面白がっているうちにすっかり迷い込んでしまったと言ってもいい。
知世子もきっと俳句に迷い込んだ人のうちのひとりだ。夫がきっかけであっても、知世子は自らの意思で俳句の道を歩いた。
『女性俳句』という雑誌がかつてあった。昭和29年という戦後の時期にはじまった雑誌だ。第一号は赤い表紙にざらりとした質素な紙。知世子は創刊から死ぬまで編集所の任をつとめた。桂信子はじめ、女流俳人と呼ばれた人々の参加した女性のための雑誌だ。時に有閑マダムのすることだと批判も受けながらも粛々と雑誌は続いた。どれほど多くの女性が励まされたことだろう。
冒頭の句の、芽吹く山の喜びは、まるで人を誘いこんでいるようでもある。芽吹きの美しさ生命力に誘われて私たちは山に入って行く、そこに現われるのは未知の道だ。知らない道への怖さも確かにあるだろう。それでも、芽吹きの誘惑に乗らなければならない、なぜならば木の芽と出会ってしまったからである。美しさを知ってしまったからである。
「行くよりなし」という意思に、私は運命を真っ向から抱きとめる姿を思う。戦争、6人の子ども(一人は死亡)、貧乏、そしてひとかたならない夫の存在。それら全てを背負ったうえで「行くよりなし」と思い切る強さにわたしは惹かれる。不幸に口を引き結んで進むのではなく、魅了された道を目を輝かせて進む姿はとても清々しく美しい。
彼女にとって俳句とはそういうものであったのではないだろうか。
知世子の夫の名は加藤楸邨である。時に楸邨山脈とも称されるように、多様な俳人を育成したことが知られている。知世子は楸邨ほど世に知られてはいないが、山脈から流れ出た川が山を削り沃野を生みだすように、俳句を女性たちへと広げた功績はもっと評価されていいはずだ。
わたしたちも俳句に魅了されていこう、俳句に出会ったからには、どうせ「行くよりなし」なのだから。
(吉川千早)
【執筆者プロフィール】
吉川千早(よしかわ・ちはや)
長野県安曇野市在住
「澤」同人 俳人協会所属
第10回新鋭評論賞受賞
・E-mail:chihayayosikawa@gmail.com
・X @chiyochihaya