神保町に銀漢亭があったころ【第102回】小泉信一

語ってくれた井月の魅力

小泉信一(朝日新聞編集委員)

深夜、こっそり起き出して、つげ義春の漫画集「無能の人・日の戯れ」を読むのが楽しみである。「漫画家として行き詰まった〈私〉は、他人の目にはろくでなしに映るかもしれない」と裏表紙に書いてある。切なくも滑稽な人間存在の本質に迫った漫画集。その中に「蒸発」という話がある。

主人公は信州伊那谷の俳人・井月(1822~87)。住まいも家族も持たず、俳句や連句、日記など多くの作品を残した、漂泊の俳諧師だ。尾羽打ち枯らした浪人のような風情。あちらの家に泊まったり、こちらの家に泊まったり。寺の祭礼に現れては食を乞い、宿を乞い、その御礼として長寿を祝う句や死を悼む句を残したそうである。

花で一句なら「降とまで人には見せて花曇」。秋には「落栗の座を定めるや窪溜」。腰に酒の入った瓢簞をいつもさげ、酒をこよなく愛した。「よき酒のある噂なり冬の梅」という枯淡の境地に達したかのような句もある。普段は静かな男だったというが、酒を飲み、機嫌が良くなると「千両、千両」と唱えるのが口癖。数え66歳で野垂れ死に同然で死んだ。

さて、そんな井月のことをもっと知りたいと思ったのは2016年の秋である。きっかけは神保町にうまい酒と肴を食べさせる店があると聞き、「銀漢亭」を訪ねたことだった。店主の伊藤伊那男さんは伊那谷生まれ。「季節の移りゆきを友として生きたんだよね」。たしかそんな言葉で井月の魅力を語ってくれたような気がする。あとはどんなことを話したのかは覚えていないが、伊那谷に行きたくなったのは事実である。

井月の墓は、伊那市郊外の田園地帯にあった。杉の木の下に卵形の自然石。だれが供えたか酒の瓶が置いてあり、晩秋の柔らかな日差しが降り注いでいた。そういえば山口出身の自由律俳人・種田山頭火も亡くなる前年の1939(昭和14)年に墓を訪れ、「お墓したしくお酒をそそぐ」の句を残している。

幕末、明治維新、文明開化……。激動の時代に背を向け、風狂に生き、風狂に死んでいった井月。酒飲みが憧れるのも、彼が流浪の旅に徹したからだろう。コロナ禍で昔のようにふらふら飲み歩くことはできないが、私自身、それでも毎晩のようにどこかで杯を傾けている。そこでの出会いは偶然かもしれないが、だからこそ面白い。

私にとって「銀漢亭」は井月の魅力を再認識させてくれた店である。いつか機会があったら、伊藤さんと井月についてたっぷり語り合いたいと思っている。


【執筆者プロフィール】
小泉信一(こいずみ・しんいち)
1961年、川崎市生まれ。朝日新聞編集委員。著書に『裏昭和史探検』『寅さんの伝言』など。



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