【クラファン目標達成記念!】神保町に銀漢亭があったころリターンズ【14】/野村茶鳥(屋根裏バル鱗kokera店主)


そこはとんでもなく煌びやかな社交場だった

野村茶鳥
(屋根裏バル鱗kokera店主)


鱗を光らせ遡上する魚群のようにひしめく紳士淑女。小さなテーブルには芳香を放つ吟醸酒とワイン。誰かが天井を指さしながら、伊那男主宰は七月七日生まれ、だから「銀漢」なのだ、と教えてくれる。大混雑のなか、最低限の動きで天井を見上げると、星座のようなイルミネーションが紳士淑女の頭上にしんとした青い光を連ねていた。

あのいとしい空間に初めて足を踏み入れたのは2017年の夏のこと。「銀漢」同人の戸谷一斗さんの紹介で大倉句会に参加し、予備知識ゼロのまま銀漢亭へなだれ込んだのだ。通路のような細長い空間をワケもわからず進むと、いちばん奥のあたりに荷物を置くようにと誰かれの声がする。振り返ると「ここは満員電車?」と目を疑うような密集地帯。

状況がつかめぬまま紙コップを渡され、名前を書くように言われ、やがて金色のビールが注がれ、乾杯!何が何だかわからないが、「立ち飲みなのね、座って飲むほうが好きだけど……」と思っていると、壁際の半円のテーブルに大皿料理があるようだ。無類の酒好き・肴好きのため、何とかその前に辿り着き、しっとりとした冷菜を口に運ぶと、「う、うまっ……。さ、酒っ!」と刺激された私の味蕾が日本酒を切望する。するとまたどなたかが「この純米大吟醸、美味しいですよ!」と一升瓶を傾けてくれる。至福……。

素晴らしきは酒と肴だけではない。目鼻立ちの整った初老の紳士たち、上品な笑い声をたてる女優のようにきれいな女性たち……。話題は俳句にとどまらず、例えばカズオ・イシグロの小説だったり、経歴を訪ねれば大学教授だったり、芸人だったり。身に着けた宝石や装いも明らかに高価だけれど趣味の良さを感じさせる。そして何より誰もがはれやかな笑顔。そこはとんでもなく煌びやかな社交場だった。

なかでもお世話になったのはやはり大倉句会を率いる小野寺清人さん。年上好みの私にとってこの上ないイケメンであった。初対面ながら「茶鳥!」と呼び捨てにしてもらえてうれしかったのを覚えている。

それから2019年まで断続的にではあるが、このぎゅうぎゅう詰めの社交場にお邪魔させていただいた。清人さんが慣れた手つきで次々に剥く牡蠣の美味しさといったら。伊那男先生とはご挨拶程度で会話らしい会話はできなかったが、いつかはカウンターでゆっくり美食に浸りたいと思っていた。しかし当時、本気で俳句をやる意志がなかった私は、結局この社交場を離れてしまったのだけれど。

2020年5月、銀漢亭が閉店すると知った時は本当にがっかりした。ああ、あのカウンターで一度飲んでみたかった。もうその夢は叶わないんだなぁ、と。

そしてこの春。あの落胆から2年近く経ったある夜、私の頭上には青いイルミネーションがあった。それは荻窪・教会通り商店会がコロナ禍の医療従事者に贈ったエールだったのだが、銀漢亭の青い光にあまりにも似ていた。何か目に見えない力に導かれて、私はその真下で、俳句を愛する人々が集う場をつくることを考え始めていたのだった。


【執筆者プロフィール】
野村茶鳥(のむら・ちゃとり)
1969年生。熊本大学在学中に「未来図」同人であった首藤基澄教授のもとで作句を開始。その後ブランクを経て、2015年末から友人数名と「鱗kokera句会」を始める。2020年8月より「南風」会員。2022年6月より東京・荻窪の「屋根裏バル鱗kokera」店主。


【神保町に銀漢亭があったころリターンズ・バックナンバー】

【13】久留島元(関西現代俳句協会青年部長)「麒麟さんと」
【12】飛鳥蘭(「銀漢」同人)「私と神保町ーそして銀漢亭」
【11】吉田林檎(「知音」同人)「銀漢亭なう!」
【10】辻本芙紗(「銀漢」同人)「短冊」
【9】小田島渚(「銀漢」「小熊座」同人)「いや重け吉事」
【8】金井硯児(「銀漢」同人)「心の中の書」
【7】中島凌雲(「銀漢」同人)「早仕舞い」
【6】宇志やまと(「銀漢」同人)「伊那男という名前」
【5】坂口晴子(「銀漢」同人)「大人の遊び・長崎から」
【4】津田卓(「銀漢」同人・「雛句会」幹事)「雛句会は永遠に」
【3】武田花果(「銀漢」「春耕」同人)「梶の葉句会のこと」
【2】戸矢一斗(「銀漢」同人)「「銀漢亭日録」のこと」
【1】高部務(作家)「酔いどれの受け皿だった銀漢亭」


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