神保町に銀漢亭があったころ【第52回】大和田アルミ

土下座の件について

大和田アルミ(「唐変木」編集人)

「やってるかな」「だめだ、やっぱり閉まってる」

これは2020年の話ではない。

専業主婦に転職してからは山手線の内側に飲みに行く回数の激減した私がそれでも、神保町に毎月足を運ぶのは菊田一平さんが主催する「唐変木」の神保町句会に参加する為だ。句会もそこそこに二次会は大興か謝謝へ行き、紹興酒をしこたま飲み散会となるのだが、私同様飲み足りないメンバーが銀漢亭にふらふら行くのは、いつも‪21時を回ってからだ。運が良ければまだ明かりがある。伊那男さんと、既にいい感じに酔っている「今宵のママ」と、ご常連に挨拶してワインをボトルで頼み、谷口いづみさんが居ればいづみさんの肩を揉む。近年はそんな感じだった。

初銀漢亭はいつだか覚えていないが、一平宗匠に「最愛の奥様を亡くされ『悲しみきった』という凄い俳人の店だよ」と連れて行かれたと思う。緊張していた事もあり、紹介された伊那男さんは、ピリっとした印象で、ちょっと怖かった。

その後湯島句会に参加する事になったのだがこの句会、経験の乏しい私には短時間で物凄い数を選句せねばならくて正直焦った。終わると疲労困憊。それを癒してくれるのが皆さんの会話であり、美酒であり、伊那男さんの料理だった。伊那男さんの水茄子の塩揉みを目の前で見た時は感動した。またある時は常連客の色々なパーティーに誘って頂き、「踊る俳人」の中に乱入したりもした。

一度、常連だったOさんから「伊那男さんが股旅者の三度笠スタイルに仮装するので、アルミちゃんのよさこいの衣装で手甲があったら貸して欲しい」と言われた事もあった。手甲の色がショッキングピンクだったので流石に不採用だったがそれにしても。あのピリっとした伊那男さんが仮装?!と驚いた。

私の俳句をネットで紹介してくださった今井肖子さんから句集を頂戴しながらきちんとお礼をしていなかったのが気になっていた折、銀漢亭のパーティーで「あの人が肖子さんだよ」と教えて貰った時は、思わず土下座してお詫びしたこともあった。勿論肖子さんはびっくりしながらも「いやいやそんな~~、こちらこそ~。さあ飲みましょう!」と笑って許してくださった。

そんなこんなで、外様な客の私でも、店の扉を開くと皆さんに声を掛けて頂き、仲間に入れて頂いた。失礼な事が多々あったかもしれないが、今となってはどうぞお許しを。メディア等で名前が出る著名な俳句界の方々を、なんとなく知った気になっているのは銀漢亭のお蔭だと大変感謝している。「卯波」や「庵」は勿論のこと、銀漢亭にも乗り遅れた感がある私。銀漢亭が無くなり、この大量の俳人難民はいったい何処に流れ着くのだろうか、すごく気になる。

【執筆者プロフィール】
大和田アルミ(おおわだ・あるみ)
1960年東京生まれ。「唐変木」編集人。現代俳句協会会員。三鷹市井の頭在住。


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