寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇【季語=胡蝶(春)】

  しづまれば流るゝ脚や水馬

  ぼうふりやなまなか澄める腐れ水

  さつき咲く庭や岩根のかびながら

  沢瀉や花の数添ふ魚の泡

  静かなる水や蜻蛉の尾に打つも

  麦秋や埃にかすむ昼の鐘

脚の動き止めて流れる水馬、ぼうふらの生きる腐れ水の透明さの発見、さつきの咲く岩根の黴、沢瀉の花ほどに浮かぶ魚の泡、蜻蛉が尾を打ったことで気付く水の静かさ、麦秋の埃にかすむ鐘の音など、静と動、清と濁との対比が見事である。

  よく答ふ若侍や青簾

  武士の子の眠さも堪へる照射かな

  雪見とて出づるや武士の馬に鞍

  大名に酒の友あり年忘

太祇にとって武家がどのような存在であったのかが分かる句である。清々しく愛想の良い若侍、居眠りの許されない武士の子、雪見をするにも馬に鞍が必要な武士、孤高の大名にも酒の友がいた。武士もまた浮世を生きる人間であった。

  蚕飼ふ女や古き身だしなみ

  早乙女の下り立つあの田この田かな

  鰒売に食ふべき顔と見られけり

  薬掘蝮も提げてもどりけり

  脱ぎすてて角力になりぬ草の上

  柿売の旅寝は寒し柿の側

  谷越に声かけ合ふや年木樵

  寒声や親かたどののまくらもと

  寒月の門へ火の飛ぶ鍛冶屋かな

それぞれの職業や役割に従事する人の瞬間を捉え描写した。このような人間描写は、当時の生活を鮮やかに表現しつつも、現代にも通じるところがある。

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