熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲【季語=熱砂(夏)】

 ところが、ビーチサンダルを履くのを忘れてしまい、途中で「熱い熱い」と跳ね上がる始末となる。「僕のサンダルを履いて」と素足になったやっくんは「あちあちっ」と跳ねながら海まで全力疾走した。波打ち際でサンダルの置き場に困っていると、「その辺に置いといていいよ」という。

 近くにはたくさんのサンダルが並んでいた。レンタルした浮輪を二人で使いながら波乗りを楽しんでいると、やっくんのサンダルが片方だけ流れてきた。潮が満ちたのか、複数のサンダルが漂流しており、泳いでいる人たちが手分けして回収していた。もう片方のサンダルを見つけた時には、他の観光客とともに大いに笑った。海から上がる際には、交代で濡れたサンダルを履いた。

 その日以後、やっくんとは親しくなったが、交際には至らなかった。男女として惹かれ合ったのは、海辺の空間に居る刻だけだった。当時はお互いに、恋よりも趣味や友達が大切で、合宿から戻った後は二人だけの時間を作れなかった。だから、友達のままで終わった。それでも少し、ほのめく想い出ができたのは、熱砂のお陰である。

  熱砂駆け行くは恋する者ならん  三好 曲

 掲句は、『角川俳句大歳時記』に掲載されている。作者は、愛媛県松山市の出身で、山口誓子主宰「天狼」の同人となる。平成元年、地元にて「紅日(こうじつ)」を創刊主宰。季語と物との結び付きの明確な“物俳句”の実践につとめた。句集に『空港』(平成5年)、『灯台』(平成21年)がある。「紅日」は現在、川内雄二氏が継承主宰。

 三好曲は、松山の海辺の景色や風土を詠んだ句が魅力の作者である。

  蜜柑島夜は漁火もて囲む

  海上に月落ちかかる盆踊

  牡蠣割女前垂しかと股挟み

  寒造り白木の樽に米沈む

 山口誓子の影響を受けた写生の句は、単なる風景模写に留まらない。情を孕みつつ尖った感性を見せる。

  掌に載せ若鮎は姿よし

  蟻地獄この美しき砂の窪

  鐘撞けば結界の霧動き出す

  菊人形菊の裳裾を長く曵き

  雪片をもつて虚空を満たしたる

  げんげ田に寝転ぶ妻を許し置く

 時には、妻のことも詠み、人間臭い一面を見せた。おおらかで自由な発想を持っている作者なのかもしれない。

 〈熱砂〉の句は、海水浴場ではしゃぐ若者達を描写した句であろう。足裏が灼けるのも気にせず、素足で走る男女が眩しく映ったのだ。追いかけっこ遊びをする子供の延長線上にある恋の駆け引き。だけれども、もう子供ではない情熱を孕む。灼けつくような陽射しと火傷をするような高熱の砂。危険を冒してでもつかまえたい恋が松山の浜辺から生まれようとしていた。〈ならん〉と推量で終わるのは、観光地の夏の浜辺での恋が冷めやすいものであることを知っているからだろう。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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