
踏絵してよりもの言はぬ人となり
藤井啓子
二週連続で「絵踏」という季題と向き合わせていただいています。
掲句は、「踏絵」という歴史的事象を素材としながら、その行為の是非や場面描写には踏み込まず、ただ「その後」を生きる人の変化だけを静かに示しています。
一瞬の動作に過ぎない踏絵が、以後の人生のあり方を不可逆に変えてしまう。その重みが下五まで揺るがず貫かれています。
「踏絵してより」という語が示すのは時間の経過であり、踏絵を踏んだ直後ではなく、その後も継続する沈黙の重さです。
「もの言はぬ人となり」と助動詞「なり」で言い切ることで、沈黙は一時の感情ではなく、その人の性質として定着してしまったように響きます。
踏絵に伴う葛藤や苦悩は一切語られていません。
しかし、語られないからこそ、沈黙の理由は読者に委ねられます。
信仰を裏切った悔恨か、命を選び取ったことへの負い目か、あるいは言葉によって何かを正当化することを拒んだ姿勢なのか。
そのいずれもが句の射程に含まれているように感じます。
現代において踏絵は過去の制度ですが、この句は歴史的距離に安住していません。
人はある選択を境に、それ以前のようには語れなくなることがあります。
掲句はその沈黙の重さを、言葉の節度として差し出した一句だと感じました。
『ホトトギス』令和七年六月号 所収。
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。

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