【連載】
漢字という親を棄てられない私たち/井上泰至
【第4回】
句会は漢詩から生まれた②
去る11月16日(水)2200から、NHK「歴史探偵」で正岡子規が特集され、スタジオで私が解説をした映像が流された。司会は俳優の佐藤二朗さん。ディレクターの発案で佐藤さんに、「酒」を題に句を詠んでもらう趣向となった。言わばテレビ収録上のミニ句会である。
とはいえ素手でいきなり、というのは、あんまりなので急遽私の発案で、子規の次の句をアテンドの渡辺佐和子アナウンサーに提示してもらい、句作のヒントとした。
花なくと銭なくと只酒あらば 子規
結果がどうだったかは、番組をご覧の方にはご存知の事だが、句作2回目にしては、俳句になった。やはり、埋字同様、句の文体から学ぶのは効果的なのだ。1回目は夏井いつきさんにコテンパンにやられたとスタジオでうかがった。可哀そうに。
佐藤さんの瞬発力は流石である。決して事前に代作など用意してはいない。妻子を愛されている佐藤さんの実生活が浮かんでくるものだった。ご関心のある向きは、オンデマンドで御覧頂きたい。
さて、子規は実は下戸である。その割には酒の句が多い。二二〇句は数えられる。検索は、松山市立子規記念博物館のデータベースによる。
それにしても酒を嗜まない子規が、なぜ酒の句を詠み、また詠み得たのだろうか? 色々な理由は考えられるが、漢詩文の文学世界の存在がやはり大きかったように思う。唐代の三大詩人、杜甫・李白・白楽天は皆酒を愛し、これを詠んだ。漢詩を詠む人間で、この三人を意識しない者はいない。俳人が芭蕉を意識しない愚以上のもので、日本漢詩における杜甫・李白の影響などという研究発表は、中国文学研究者から見れば、当たり前すぎて鼻で笑われるのがオチだ。
その漢詩世界では、花見と酒は付き物である。ただし、花は桃や杏の花であることが多い。独酌しながら、去り行く花=春を惜しみ、酒を友にして感傷に浸るのである。芭蕉が『奥の細道』で引いた、「月日は百代の過客」にしても、人生は短いからこそ、春の夜を盛大に楽しむべきと酒杯を重ねた李白の文章からのものである(『古文真宝』「春夜桃李園に宴するの序」)。詩の方面では、蘇軾の七言十二句「月夜客と酒を杏花の下に飲む」 など好例だろう。
花間に酒を置けば清香発し
争でか長條を挽きて香雪(杏の花びら)を落とさん
漢詩文は人生を語り、美に耽る。気品があるとも言えるし、気取っているとも言える。こうした漢詩を意識した時、俳句は当然別の立ち位置となる。酒に没入する「人情」こそが、俳句ならではのテーマとなる。漢詩が正格の文学として君臨していた時代、俳句はエリートになり切れない、あるいはそこから落伍したことを「軽妙」に笑ってみせる「滑稽」を身上とした。
ただし、普段着の生活は野卑に落ちやすい。写生は、生々しい下品さと背中合わせなのである。そこでこれを軽やかに笑ってみせるポーズが俳句に要求される。子規句の場合、「なくと」のリフレインがそれにあたる。
つまり、酒をめぐる漢詩と俳句は、宴会における儀式と無礼講と同様、コインの裏表ようなものであって、別々のものでは決してない。子規は飲めなかったが、句会には休憩時必ず酒をふるまったのである。
【執筆者プロフィール】
井上泰至(いのうえ・やすし)
1961年、京都市生まれ。上智大学文学部国文学科卒業。同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。現在、防衛大学校教授。著書に『子規の内なる江戸 俳句革新というドラマ』(角川学芸出版、2011年)、『近代俳句の誕生ーー子規から虚子へ』(日本伝統俳句協会、2015年)、『俳句のルール』(編著、笠間書院、2017年)、『正岡子規ーー俳句あり則ち日本文学あり』(ミネルヴァ書房、2020年)、『俳句がよくわかる文法講座: 詠む・読むためのヒント』(共著、文学通信、2022年)、『山本健吉ーー芸術の発達は不断の個性の消滅』(ミネルヴァ書房、2022年)など。
【バックナンバー】
◆第1回 俳句と〈漢文脈〉
◆第2回 句会は漢詩から生まれた①
◆第3回 男なのに、なぜ「虚子」「秋櫻子」「誓子」?
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】