以下は、多少の遺漏はあろうが、芭蕉の全句中から、これまでに述べてきた私の規準に従って抽き出した共感覚俳句のリストである。 この稿に既に掲出した句も、リストとしての完結を期して再掲した。 句の表記、作句年代順の配列は、底本とした『芭蕉俳句集』(前出)によった。 句に付されている前書は、句の内容に直接ひびくと思われるもののみを括弧内に付し、他はすべて割愛した。 各句に含まれ、句の核心をなしている比喩の種類を、句の左側の括弧内に付したが、その多くが隠喩であり、ごく一部が活喩、張喩、声喩、喩なし、であった。
リストのとおり、芭蕉の共感覚俳句の総数は38句。そのうち、(1)聴覚と視覚(または視覚と聴覚)句が15句で最も多く、 次いで(2)視覚と触覚(または触覚と視覚)句が11句、(3)視覚と嗅覚(または嗅覚と視覚)句が5句、以下、(4)嗅覚と聴覚句、(5)嗅覚と触覚句、(6)聴覚と味覚句、(7)聴覚と触覚句、 (8)触覚と味覚句、(9)視覚と触覚と聴覚句、(10)嗅覚と視覚と触覚句、の(4)〜(10)が各1句(計7句)となった。 共感覚俳句の幅の広さがうかがわれる。
(1)聴覚と視覚(または視覚と聴覚)句
霜を着て風を敷寝の捨子哉 (隠喩)
海くれて鴨のこゑほのかに白し(海辺に日暮して) (隠喩)
木枯やたけにかくれてしづまりぬ(竹畫讃) (隠喩)
手鼻かむを(お)とさへ梅の盛り哉 (隠喩)
ほろほろと山吹散るか瀧の音 (声喩)
須磨寺や吹かぬ笛聞く木下やみ (隠喩)
埋火もきゆやなみだの烹る音 (隠喩)
閑さや岩にしみ入蟬の聲 (隠喩)
声すみて北斗にひゞく砧哉 (隠喩)
手をうてば木魂に明る夏の月 (隠喩)
牛部やに蚊の聲闇き残暑哉 (隠喩)
木枯に岩吹とがる杉間かな (隠喩)
郭公声横たふや水の上 (活喩)
松風や軒をめぐって秋暮ぬ (隠喩)
秋の夜を打崩したる咄かな (隠喩)
(2)視覚と触覚(または触覚と視覚)句
野ざらしを心に風のしむ身哉 (隠喩)
此あたり目に見ゆるものは皆涼し (張喩)
結ぶより早歯にひゞく泉かな (隠喩)
涼しさやほの三か月の羽黒山 (喩なし)
暑き日を海にいれたり最上川 (活喩)
石山の石より白し秋の風 (隠喩)
葱白く洗ひたてたる寒さ哉 (隠喩)
塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店 (隠喩)
すゞしさを繪にうつしけり嵯峨の竹 (隠喩)
朝露によごれて涼し瓜の泥 (隠喩)
湖やあつさをお(を)しむ雲のみね (活喩)
(3)視覚と嗅覚(または嗅覚と視覚)句
蒼海の浪酒臭しけふの月 (隠喩)
清く聞ん耳に香燒いて郭公 (張喩)
其匂ひ桃より白し水仙花 (隠喩)
むめがゝにのつと日の出る山路かな (声喩)
さざ波や風の薫の相拍子 (隠喩)
(4)嗅覚と聴覚句
松杉をほめてや風のかほ(を)る音 (隠喩)
(5)嗅覚と触覚句
むめが香に追もどさるゝ寒さかな (活喩)
(6)聴覚と味覚句
降音や耳もすふ(う)成梅の雨 (隠喩)
(7)聴覚と触覚句
鳩の声身に入わたる岩戸哉 (隠喩)
(8)触覚と味覚句
身にしみて大根からし秋の風 (隠喩)
(9)視覚と触覚と聴覚句
たのしさや 青田に涼む水の音 (活喩)
(10)嗅覚と視覚と触覚句
石の香や夏草赤く露暑し(殺生石) (喩なし)
この稿の初めに「かなりある」といった芭蕉の共感覚俳句は、このリストのとおりであり、その総数38句は、「芭蕉千句」(982句)とされる中では3.9パーセントにすぎぬのかもしれない。 しかし、私たちの日常ではそうそう体験できず、 したがって俳句という詩作品に仕上げるべきモチーフもなかなか見付けにくい共感覚の特殊性からすれば、「かなり(多い)」といえるのではないか。 現に、次回で見ることにする現代俳句の秀句中の共感覚俳句の数も、これほど多くはないのである。
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