【連載】
もしあの俳人が歌人だったら
Session#7
このコーナーは、気鋭の歌人のみなさまに、あの有名な俳句の作者がもし歌人だったら、どう詠んでいたかを想像(妄想)していただく企画です。今月取り上げる名句は、松尾芭蕉の〈秋深き隣は何をする人ぞ〉。この名句を気鋭の歌人のみなさまは、いったいどう読み解くのか? 今月は、鈴木晴香さん・ユキノ進さん・鈴木美紀子さんの御三方にご回答いただきました。
【2021年10月のお題】
秋深き隣は何をする人ぞ
松尾芭蕉
【作者について】
松尾芭蕉(1644-1694)は、三重県の公務員(下級武士)の次男として生まれる。若いころ、俳人・藤堂良忠に仕えていたことがきっかけで俳句の道に。29歳の時に江戸に下って日本橋に住むが、火事にあって深川に引越し。30代の終わり、1682年末には八百屋お七の火事により庵を消失、しばし山梨に滞在。晩年の十年間は人生の儚さを思いながら、『野ざらし紀行』そして『おくのほそ道』の旅に。弟子に蕉門十哲と呼ばれる其角、嵐雪、許六、去来、支考などがいる。
【ミニ解説】
10月は、俳句では「晩秋」つまり「秋深む」から「秋惜しむ」時期です。一般的にも過ごしやすい日が多く、読書の秋・スポーツの秋・芸術の秋などと並び称されるのは周知の事実。1964年の東京オリンピックの開会式もまた10月でした。ちなみに管理人・堀切の誕生日も10月です。一説には、10月生まれには変人が多いのだとか。
さて「秋深む」といえば、真っ先に思い出されるのが、この芭蕉の一句なのですが、いったいどのような状況なのでしょうか。さすがに与えられているヒントが少なすぎて、これってもしかして、そんなによろしくない句なのでは?という思いが頭をよぎったり。
実はこの句、芭蕉が亡くなる直前の一句なんですよね。芭蕉が亡くなったのは、1694年10月12日で、この句が詠まれたのは9月28日。そして芭蕉先生を励まそうと弟子たちが句会をオーガナイズしたものの、やはり病気がつらくて欠席し、発句としてこの句を託したわけです。
「明日の夜は芝柏が方にまねきおもふよしにて、ほつ句つかはし申されし。秋深き隣は何をする人ぞ」(「笈日記」)。
もちろん9月28日というのは旧暦ですから、現在の10月下旬から11月上旬くらいに当たる時期。新暦に換算すると、この日は1694年11月15日ということになります。当時はエアコンもないし、隙間風は吹くし、寒いのは当然。そしてわたしたちは、それが死の2週間前であることを知っているわけです。
正岡子規が病床で詠んだのは、〈いくたびも雪の深さを尋ねけり〉ですが、ここには何かを尋ねる相手もおらず、ひとりぼっちの布団の上。隣の家からは、もしかすると、とても賑やかな声が聞こえているのかもしれないですね。芭蕉はこの日、どんな物音を聞いたのでしょうか。井上井月という漂泊の俳人は、薄れゆく意識のなかで鶴の声を聞き、〈何処やらに鶴の声きく霞かな〉という辞世の句を残しています。
松尾芭蕉の忌日は、陰暦10月12日。時雨の多い季節であること、また芭蕉が時雨を好んで句作に用いたことにちなんで「時雨忌」とも呼ばれていますが、こちらはすでに「冬の季語」となります。
マンションのベランダでひとり、空を眺めることが増えました。コロナ禍、会いたい人と遠ざかり行きたい場所を諦めて、家族という閉ざされたコミュニティでずっと過ごしているせいでしょう。そんな自粛の日々が続く中、ふと気がついたのです。家庭という場所に「妻」や「母」の居場所はあっても「わたし」の居場所は何処にもないことに。そんなわたしにとって、いつしかベランダはささやかな避難場所になっていました。誰でもない「わたし」になりたいときは、ぼんやりとベランダで風に吹かれます。いつまでも乾かない洗濯物の寄る辺なさで。
ある夕暮れ、お隣のベランダから風に混じって煙草の微かな香りが流れてきました。きっとテレワーク中のお隣のご主人が家族を気遣い、ひとりベランダで煙草をくゆらせているのでしょう。ちりちりと煙草の燃える音や煙と一緒に吐きだす溜息の気配が意外なほど近く感じられました。それは、他人とアクリル板やビニールシートで遮られることに慣れきってしまったわたしには懐かしい気配でした。家庭に「喫煙者」としての居場所がないお隣のご主人と隣同士のベランダで秋の夕風にすすがれている。そんなたわい無い出来事に何となくほっとします。〈非常時にはここを破って避難できます〉と書いてある壁の薄さにふっと安堵します。いつの間にかベランダの向こうは群青色に沈む空。その彼方へ煙草の煙のように逃げてゆく「わたし」が見えた気がして、ほんの束の間やすらいだ気持ちになるのでした。
(鈴木美紀子)
二十代の半ばごろ住んでいたのは大家一家の二世帯と賃貸二戸のみが入っている小さなマンションだ。僕は三階の方の部屋を借りていた。大家の一族は幸せそうな若夫婦と上品なおばあさん。二階の住人も親切で、実家から送ってきたというサクランボをくれたりした。親しみやすい隣人たちだ。大きな窓から空を見ながらラブ&ピースだな、と思った。
しかしある日小さなできごとが起こる。僕のポストに「ピアノうるさい 森田」という一枚の紙が入っていたのだ。筆跡は利き手でない方の手で書いたかのように歪んでいる。なんだろう。僕はピアノを弾かないし、そもそも部屋にピアノはない。そして大家の名前は「守田」だ。その大家に聞いても心当たりがないという。では二階のあの親切な住人だろうか、道を挟んだ向かいのマンションの住人だろうか。いや、実はあの大家の物静かなおばあさんなのかも。穏やかな日々にコーエン兄弟の映画のような猜疑心と事件の予感が広がった。
結局、事件は起こらずメモの書き手もわからないままに数年後その部屋から引っ越すのだが、隣人のことを考えるたびに「ピアノうるさい」の紙を思い出す。隣は何をする人ぞ、とそのメモの書き手も思っていたのだろう。
はるか遠くの隣人よ、部屋で上機嫌にピアノを弾いていたのは僕ではありません。弾いていたのはCDのマリア・ジョアン・ピリスです。
(ユキノ進)
「となりのトトロ」。これはやっぱり「となり」だからいい。「私のトトロ」では近すぎるし「森のトトロ」では遠すぎる。「となりのトトロ」のポスターでは、トトロと少女が並んでバスを待っている。雨が降っている。お互いに息をしているのがわかる。そこに命があることを感じている。ただそれだけだ。(ちなみにポスターに描かれているのはさつきでもめいでもない。顔はめい、服はさつきに似ているような、映画には登場しないひとりの少女である。)
東畑開人さんの『居るのはつらいよ』(医学書院)は心理士として働く主人公を描いた物語。沖縄の精神科デイケア施設で働くことになった「僕」は、ただそこに座って「いる」ように指示される。けれどもそれがつらい。だからなにか「する」ことを探してしまう。でも、職員や患者と過ごすうちにわかってくる。「する」ことがなくても誰かと一緒に「いる」ことができる、そういう居場所をつくることが、ケアの中心なのだと。
トトロがとなりにいる。それだけで安心してバスを待てる。そういう居場所。
(鈴木晴香)
【ご協力いただいた歌人のみなさま!】
◆鈴木美紀子(すずき・みきこ)
1963年生まれ。東京出身。短歌結社「未来」所属。同人誌「まろにゑ」、別人誌「扉のない鍵」に参加。2017年に第1歌集『風のアンダースタディ』(書肆侃侃房)を刊行。
Twitter:@smiki19631
◆ユキノ進(ゆきの・すすむ)
1967年福岡生まれ。九州大学文学部フランス文学科卒業。2014年、第25回歌壇賞次席。歌人、会社員、草野球選手。2018年に第1歌集『冒険者たち』(書肆侃侃房)を刊行。
Twitter:@susumuyukino
◆鈴木晴香(すずき・はるか)
1982年東京生まれ。慶應義塾大学文学部英米文学専攻卒業。塔短歌会所属。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載「短歌ください」への投稿をきっかけに短歌を始める。歌集『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)。Readin’ Writin’ BOOKSTOREにて短歌教室を毎月開催。第2歌集『心がめあて』(左右社)が今月発売!
Twitter:@UsagiHaru
【来月の回答者は、服部崇さん、野原亜莉子さん、三潴忠典さんです】
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】