凩のいづこガラスの割るる音 梶井基次郎【季語=凩(冬)】

のいづこガラスの割るる音

梶井基次郎


作者は1901年大阪府生まれ。小説家として代表作に『檸檬』『桜の樹の下には』など。31年の人生の中で、句会や俳諧の研究を楽しんだようだ。

掲句は、幾通りにもとれる省略と転換の大胆さに惹かれた。作者自身が踏まえて書いた文章によると、凩を聴いている作中主体が、遥か遠くでガラスが割れる音を聴いたということらしい。騒々しい聴覚の情報を敢えて2種類重ねることで、より一層作中主体の孤独や静かな胸の内が際立っているように思う。

一方で、上五の助詞の選択や語順は、私にまた別の状況を思い起こさせる。作者の意図とは真逆、つまり、作中主体が探しているのは凩ではないか、という想像である。間近で割れた自分の窓(だと予想した)のガラスをどうしようかと思いつつ、それとは別に、寒さなどから想起された記憶の中の凩を求めているように感じた。苦しみを形にしてくれる存在としての凩を読み取ったということである。季語としての効果は薄らぐかもしれないが、個人的には心の動きと五感の働きが整理されていて好きな読み方である。

梶井基次郎氏が短い人生の多くを結核との闘病に費やしたということを知っていれば、難なく氏の意図通りに読むことができるのであろう。作者の意図が明確に存在している以上、私の読みは誤りなのかもしれない。読者の自由に読む権利(あるいは読まない権利)はもちろん担保されるべきものだということは前提として、読み方の一つとして、作者名を明記した作品に作者の人生を重ねることの是非について思う。

現在の俳壇において、俳句作品が一般読者の目に届くとき、概ね作者名や生年、性別、句歴、所属結社及び師系、あるときは顔写真も掲載される。インターネットで検索すれば活動範囲や思想も見えてくるかもしれない。句集ともなればどうしても作者の生活に思いを巡らせることになる。個人情報は、俳句という短すぎる文芸をより深く、生身の人間の言葉として理解する手助けになることも多くある一方で、それらの情報をもとにする「理解」は果たして正しいのかと悩むこともある。私は少なくとも一旦は作者の属性のことを考えずに読みたい。英単語帳で勉強するときに重宝していた赤シートでも導入しようかと画策している日々である。

美術展を見るときは画家が生まれてから死ぬまでに辿った街を詳しく知りたくなるし、好きな芸人に関しては幼少期の習い事の遍歴についてまでも知りたくなる。幸か不幸か記録媒体は発達し、雑多な情報にアクセスする手段は無数にあって、世界的に有名な人物の人となりについての情報などはむしろ避けて通る方が難しい。それにもかかわらず、人類はおそらく、知らなかったことにするよりも憶えておくほうがはるかに得意である。時間経過とともに無限に増えていく俳句の類想・類句と同様に、あたかも正解そのもののような顔をして増え続ける情報の中で、事実に基づかない感性と向き合う手段をずっと探している。

(野城知里)


【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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