秋蝶の転校生のやうに来し
大牧 広
家からちょっと歩いた一画に小さな公園がある。住宅街だし、目の前が保育所、小学校もすぐ近くという立地のためか、子供がよく利用している。真ん中あたりを区切り、半分はぶらんこ、すべり台、鉄棒、砂場というお定まりの遊具があり、もう半分は金網に囲まれたただの広場だ。「ボール遊び(サッカー・野球)は禁止です」と朱書きの看板があるけれど、ゲームでなければ構わないらしく、ボールを蹴ったり投げ合ったりする少年同士や父と子の姿を見かけることも多い。高校生カップルが夜更けに身を寄せ合っていたりもする。
きのうの昼過ぎ、買い物の帰り道にその公園の脇を通ったら蝶が一羽飛んでいた。やや小ぶりの、オレンジの翅はおそらくタテハチョウの仲間だろう。桜の落葉から落葉へ、落葉から石へ、石からベンチへ、また落葉へ、と低いところを経巡るさまは飛ぶというよりほっつく感じに近い。
公園は無人だった。通りにも人影ひとつない。静まり返った公園の端っこを蝶がただ一羽ふんふん遊んでいる。ひっそり閑とした時間の中でその動きは気軽とも寂しげとも見えた。
家に帰り、当欄の俳句を選ぶために幾つかの句集を開いていたら、大牧広の句が目に入った。この句の秋蝶に先ほど広場の隅にいた蝶の姿が重なった。
春の蝶に楽しい新学期、夏の蝶に元気な夏休み、と蝶と学校を結びつけるのはイメージとして安直だが、転校生と秋蝶はちょっと意表を突く直喩の手法だ。はて、その類似するところは?考えてみる。取り敢えず「遅れてやって来ました」感、とでも言ってみようか。出来上がったクラスの雰囲気からちょっと浮いた転校生の存在は好奇の対象だ。秋に入り数が減って来た蝶のように目を引く。大牧広の目に転校生と映った蝶はどんな風に羽搏いていたのだろう。慎重にゆっくりと、人見知りで警戒心が強そうに、社交的な軽やかさをもって、それとも孤高。
はるか昔に転校生として教室に立った日がふと蘇る、そんな十月の土曜日です。
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。