【第3回】墓参り吟行
ローゼン千津(「いつき組」「藍生」)
皆様こんにちは。そもそも俳人って墓が好きですよね。故郷愛媛の松山で子規や虚子ゆかりの地を歩きながらお客さんと一緒に一句詠む、という俳句ガイドを私がしていた時に、“道後鷺谷墓地”という墓吟行コースがありました。これは市営墓地でして、秋山兄弟の兄好古の墓は入口から近いけれど、中村草田男の分骨された墓は割と奥の方で分かりづらい。お客さんを案内しながら、あれえ、どこやったっけ? とうろうろするので、目印に猫じゃらしを置き、「草田男の墓はここです猫じやらし」という拙句を披露しました。
正岡子規の墓のある東京田端の大龍寺へも何度となく参りました。平成天皇にチェロをご進講しておられた清水勝雄先生のお墓もあります。清水先生のメモリアルリサイタルに、氏の令嬢のピアニスト清水愛さんとチェリストである私の夫ニックが共演しましたご縁で、田端でリハーサルがある度に大龍寺へお参りします。子規居士の墓の隣に糸瓜模様の彫られた「……日本新聞社員タリ……月給四十圓」の墓碑銘。明治時代の一円が今の一万円以上なら、月給四十万以上は立派なエリート! 私達夫婦は“墓要らん派”ですが、墓碑銘だけは書いてみたい。シェークスピアの墓碑銘を捩り、「この墓石を動かさざる者に呪いあれ、わが骨を動かす者に祝福あれ」、映画ターミネーターの台詞「 I’ll be back」も中々いいですね。
この辺りから墓参り吟行に火が付きまして、以来八年余り。以前は、夫の演奏旅行へ同行し、コンサートやマスタークラス(公開レッスン)の合間に観光をしました。英国ロイヤル・オペラ・ハウス、パリ・オペラ座、ロシア・マリインスキー劇場というバレエファンの三大聖地巡りの後は、ミケランジェロの墓のあるフィレンツェ、アルゼンチンの作家ボルヘスの墓のあるジュネーヴなど、好きな芸術家の墓参三昧。姉の夏井いつきに、「アンタはご先祖の墓参りはちっともせんくせに。」と言われ、「ご先祖がミケランジェロだったら毎年イタリアへ墓参りに行くわ。」と言い返しました。
大夕焼さめればフイレンツエの消ゆる 朗善
サンクトペテルブルクにあるアレクサンドル・ネフスキー修道院の墓地は、ロシア芸術家墓巡りの名所。宝探しのようにわくわくします。ドストエフスキーの墓。チャイコフスキーの墓。アレンスキーの墓はとても美しく、ピアノに寄りかかり曲想を練る風情のアレンスキー像を見ていると、ピアノ三重奏曲第1番第3楽章のエレジーが胸に溢れます。名チェリストであったカール・ダヴィドフへの追悼曲。ミュート(弱音器)を付けて弾くチェロの音色が耳に蘇ります。
レニン像指差す街の冬ざるゝ 朗善
墓参り吟行を最も愉しんだ土地は、運河が縦横に走る水の都ヴェネツィア。島内は一切車が走らず舟しか通りませんから、街中は信じられない静けさです。荷車の音が小太鼓のように響く石畳の路地を抜けると井戸の湧く四つ辻。仮面をつけたマントの人々が月を仰ぐ。現世の街とは思えません。高潮の来るサンマルコ広場や大聖堂のある本島のみならず、マーラーの名曲で知られる映画『ヴェニスに死す』のリード島や、ヴェネチアングラスの産地ムラーノ島など離島巡りも捨てがたい。その一つであるサン・ミケーレ島は、教会と墓地の島。棺桶はゴンドラで波に揺られ来て埋葬されます。『火の鳥』や『春の祭典』の作曲者ストラヴィンスキーの墓に跪き百合の花束を捧げた日も、早春の日射し燦めく波が高かったことを覚えています。
銅像の耳傾けてつばくらめ 朗善
墓参り吟行はまだまだ続けたいですね。世の中が無事になりましたら、モーツァルト、べートーヴェン、シューベルト、ブラームス、など音楽家の墓の宝庫ウィーンへも是非参りたいと思います。
【執筆者プロフィール】
ローゼン千津(ろうぜん・ちづ)
俳号朗善千津。姉夏井いつきの元で俳句を始める。いつき組組員。藍生俳句会会員。藍生新人賞。俳都松山の初代「はいくガイド」メンバー。チャイコフスキー国際音楽コンクール金メダルチェリストの夫ナサニエル・ローゼンの付き人として世界を旅する。現在は、山中湖村に住み、日々富士山を詠む。夏井いつきと共著の『寝る前に読む 一句、二句。 – クスリと笑える、17音の物語』(株式会社ワニブックス発行)があり、現在第二弾制作中。
ナサニエル・ローゼン公式ウェブサイト
https://nathanielrosen.net/
ミセス・ローゼンの富士日記
https://blog.goo.ne.jp/msgecko
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