どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子【季語=舟遊び(夏)】

どこまでもこの世なりけり舟遊び

川崎雅子

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いま生きているこの世界が徹頭徹尾うつし世にほかならないという、そんな自明なことへの気づきを詠んだものだが、そうした内容に反してどこか浮き世を超えた高潔を漂わせる句だと思う。

いや、そんな高尚なことを語った句と受け止めるのは過剰なのかもしれない、そう一方で思えもする。「この世なりけり」は、もっと軽妙で、洒脱な、あくまで現実主義的な態度。それこそ、隅田川での船遊びが盛んになった頃の江戸の町民が、冗談めかしてさらりと漏らした感慨、そういうものになぞらえることもできるかもしれない。「なリけリふなあそビ」というイ段音の押韻による小気味よさは、そんな受け取り方に分があることを語るようにも思えるが、果たして。

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さて。自己紹介が遅れましたが、山川太史と申します。「とちの木」と「いぶき」という、どちらも神戸を中心に活動している結社に所属しております。6月まで火曜日担当をされていた有瀬こうこさんから引き継がせていただきました。

こんな無冠無名の雑魚俳人が、セクト・ポクリットという憧れの舞台の執筆者にさせていただけるなんて恐縮の至りではありますが、なんとか任期を全うしたいと思っています。

読者のみなさんに楽しんでいただけるものになるかいささか不安ですが(というか、ほとんど私しか楽しめないものになるのではないかと思っているくらいですが)、せっかくですので私はまず初めの一か月は「とちの木」主宰・川崎雅子から始めて、私の師系をたどっていくようにして記事を書いていきたいと考えています。「とちの木」自体かなり小さい結社ですし、本サイトの読者の多くの方はこの結社や川崎雅子のことをあまりご存じないかもしれませんが、しばしお付き合いいただければ幸いです。

というわけで、続きをどうぞ。

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川崎雅子は、昭和50年に「渦」に入会してその句歴を歩みだしたが、「渦」の主宰・赤尾兜子の死後は、「雲母」に移り飯田龍太に学んだ。そして、平成4年の「雲母」終刊後は、大井雅人(がじん)の「柚」に所属し、その終刊後、同結社の精神を継承するかたちで「とちの木」を創刊する。

川崎雅子はこれまでに三つの句集を出しており、掲句は令和二年刊行の第三句集に収められている。

平成五年刊行の第一句集の名は『歩く』。

平成十五年刊行の第二句集は『()つ』。

そして、第三句集は『坐る』である。

かつて生前の田中裕明が、第二句集までの集名を見て「次は、すわる?」と冗談まじりに言ったことが、ずっと雅子の胸の内にあったのだそう。

そんな田中裕明は平成十六年に亡くなったが、雅子は『佇つ』から『坐る』までの間、彼をはじめとして周囲の多くの人との死別を経験した。崇敬する飯田龍太を平成十九年に、また大井雅人をその翌年に亡くしているし、「渦」所属時代から親交のあった和田悟朗は平成二十七年に亡くなっている。くわえて、こうした俳句の先達として仰いだ人たちばかりではなく、雅子の親友さえも病でこの世を去っている(しかも大井雅人の死去と同年にである。なお、こうした人々との交わりと別れについて、雅子はエッセイ集『玉手箱から』(ふらんす堂)で綴っているので、もしご興味があればご一読されたい)。

さらには、雅子にとってひときわ大きかったのは母堂との別れだったろう。雅子が長年一人で介護をしてきた母堂が令和元年に逝去したのだ。『坐る』のあとがきに「母の死に後押しされ、句集を出すことにしました」と書かれているとおり、この句集は母堂の死という契機と強く結びついている作品なのである。実際、本集は、春夏秋冬+新年それぞれの句を章立てて収録しているほかに、「母」という章を最後に立て、生前の母堂を詠んだ句や、追悼として詠んだ句を並べている。

  母の影足して整ふ初景色

  眠りては遠ざかる母さくら咲く

  風鈴や闇につながる母の部屋

  どの部屋も灯して母と娘の聖夜

  死後といふ刻のはじまる短き夜

  汗つかきの母へこの世の風送る

そんな背景を持つのが『坐る』という句集であり、今回挙げた〈どこまでもこの世なりけり舟遊び〉は、そんな句集に収められている。とはいえ、雅子がこうした多くの死別を経験した末に本集を編んでいるという事実を、この句の享受にからめることが得策であるかは分からない。むしろそうした作家の背景とはまったく独立にしてこの句は十分に価値を有するし、楽しめるものだと思う。

(山川太史)


【執筆者プロフィール】
山川太史(やまかわ・たいし)
「とちの木」「いぶき」会員。現代俳句協会所属。
X: @tane_kokugo
note:https://note.com/yamakawataishi



【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕

【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二

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