子午線の町の風波梅雨に入る
友岡子郷
今年の梅雨は短かった。とっくに梅雨明けしているのに「梅雨入り」を季題とする句をあげるのも恐縮だが、当初の構想では、今回の原稿がアップされる頃にはまだ梅雨明けはしていないだろうという見込だったので、どうかご勘弁願いたい。
掲句は遺句集『貝風鈴』所収。「子午線の町」とは、言うまでもなく明石市のことだ。友岡子郷の終の棲家となった地である。晩年の句でありながら、みずみずしい爽やかさがあり、青春性さえ感じさせる。
近隣市に住む筆者としては個人的に、明石という土地には様々な点で羨望を覚えるというか、特有の魅力を感じさせる土地であると思うのだが、掲句はまさにその明石という町の本質を突いているように思う。誰かに「明石ってどんなところ?」と聞かれたら、回答代わりにこの句を提示してみたい気がする。
さて、友岡子郷という俳人は、前回触れた大井雅人とならび、私のもう一人の大師匠である。「雲母」→「柚」→「とちの木」という、川崎雅子の歩んだ道を考えるならば、私の師系は形式的に飯田龍太→大井雅人→川崎雅子ということになる(本当は「雲母」の前に「渦」時代があるので、赤尾兜子もこの系列にあると言えるが)。しかし、川崎雅子は大井雅人から学ぶとともに、いやむしろ彼以上に、友岡子郷から学んだところが大きいようだ。実際、「とちの木」の句会でも、雅子は私たちに子郷から学んだことを語ることがたびたびあるし、誌上にても子郷の著書『天真のことば』の引用を毎回添えている。
雅人・子郷・雅子の三者の同志・師弟関係は深いものだったようだ。雅子は平成十八年に子郷の句についての鑑賞をまとめた『友岡子郷俳句365日』という本を刊行している。これは、子郷の主宰する「遠方の会」の解散を雅子が惜しみ、彼の句を思い出とともに鑑賞し始めたことから生まれた本だそうで、鑑賞文執筆の由を聞いた子郷が自ら雅子に出版するよう勧めたとのことだ。また、子郷は雅人の句について書いた『大井雅人の俳句』を平成七年に出版している。それは「柚」創刊から同誌に寄稿していた鑑賞文をまとめたものだった。
同書の〈人は人に傷ついてゆく夜の菊 雅人〉という句の鑑賞文の中には、このような一節がある。
こんなことを思ってみる。
詩にかかわる人は、ことさら心やさしくなければなるまい。やさしさは詩の倫理である。詩は他人を理知で説得しはしない。ひたすら孤独な共感を呼び求めるものなのである。
ともすると、「詩にかかわる人は、ことさら心やさしくなければなるまい」とか「やさしさは詩の倫理である」などといった断定には、少なからず反発を覚える人がいるかもしれない。たとえば「他者への失望」や「社会に対する怒り」、あるいは「孤高へのこころざし」など、明らかに「やさしさ」とは異なる精神的源泉を自らの詩作の道しるべとする作者もいるだろう。その点で、ここで子郷の述べていることはやや独断的というか、無理のある言説だといわれることは免れないかもしれない。けれど、少なくとも私は「やさしさは詩の倫理である」というこの命題を愛し、句作における理念のひとつとしている者の一人である。もちろん、「こんなことを思ってみる」という切り出しであることをふまえれば、これはあくまで、雅人の句に触発されたことでふいに子郷の心をよぎったちょっとした思い付きに過ぎないのかもしれない。そうだとしても、この子郷の「詩論」は、その詩的遺伝子の流れにいる「とちの木」の一員としては大切にしたいものであると、私は考えている。
そしておそらく、ほかならぬ子郷自身が、ひとりの俳人としてこのテーゼに実直に沿って生きようとしていたのではないだろうか。
卓に白墨立て教へ子と夏嶺恋ふ
柳散る直路直歩のかなしみ湧き
亡き人を木に喩えつつ寒暮かな
澄むものはたやすく濁り青ぶだう
遠蜩何もせざりし手を洗ふ
ただひとりにも波は来る花ゑんど
また、上記の句以上にとりわけ子郷の「やさしさ」の発露を感じさせるものとして、子郷自身が被災者としての立場で詠んだ阪神淡路大震災にまつわる句があげられる。令和四年の子郷の訃報を伝えた神戸新聞の記事では、彼の代表句のひとつとして〈倒・裂・破・崩・礫の街寒雀〉が挙げられていたが、この句を筆頭にして、この震災にまつわる句が、第六句集『翌』に収められている。〈どこまでの地震割れの道寒雀〉〈凍雲より汚れし布に何包むや〉〈寒塵のきらきら立てり死者運び〉〈寒夜また火を曳き走る夢に覚め〉といった、被災者としての暮らしぶりの苛烈さを伝えるこうした句にならんで、以下のような句も詠まれていることは注目に値する。
救援のひとり冬木に凭りねむる
いちまいの瓦の上の手向け雛
春塵のさなかや跼み禱るのみ
子郷固有のやさしい眼差しが、過酷な避難生活にあってなお体現されている。というよりも、それにより一層純粋なかたちで発露しているのだと言えるかもしれない。
(山川太史)
【執筆者プロフィール】
山川太史(やまかわ・たいし)
「とちの木」「いぶき」会員。現代俳句協会所属。
X: @tane_kokugo
note:https://note.com/yamakawataishi
【2025年7月のハイクノミカタ】
〔7月1日〕どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子
〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり
〔7月3日〕合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉
〔7月4日〕明日のなきかに短夜を使ひけり 田畑美穂女
〔7月5日〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
〔7月6日〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
〔7月7日〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
〔7月8日〕夏の風子の手吊環にとどきたる 大井雅人
〔7月9日〕かたつむり会社黙つて休みけり 加藤静夫
〔7月10日〕章魚濁るむかしむかしの傷のいろ 瀬間陽子
〔7月11日〕ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 飯田蛇笏
〔7月12日〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
〔7月13日〕おやすみ
〔7月14日〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕なし
【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二