カンバスの余白八月十五日
神野紗希
神野紗希が高校3年生のときの作で、第4回俳句甲子園の最優秀句に選ばれたこともあって人口に膾炙している。おそらく、終戦記念日を季語として使った句では、現在もっとも有名な句だろう。二つの名詞をつなげただけのシンプルな構成だが、それだけに読み手の想像力に「余白」を生み出す。ついぞ最後まで描かれることなかった未完の絵に対する哀悼と、あるいは未完の絵であるがゆえの未来への開かれと。
ところで「終戦」か「敗戦」かはさておき、8月15日が「終戦の日」と呼ばれていることから逆算して、この日に「戦争が終わった」という思い込みは、今の日本ではかなりの程度、共有されている。私自身、大学のときに佐藤卓己の『八月十五日の神話』(2005)を読んで、玉音放送は815文字だった、という話を見た途端、それがいかにメディアに「創られた神話」であったかを知って目から鱗がこぼれおちた。公文書的にいえば、8月14日が「終戦」であり、ミズーリ号の調印(アメリカの対日戦勝記念日)は9月2日なのである。
「8月15日=終戦」が一般化したのは、戦後10年にあたる1955年の報道に端を発していると佐藤はいう。この10年の間に、サンフランシスコ講和条約、さらには第五福竜丸事件の起こった1954年に広島平和記念公園(翌年には原爆資料館)ができたことで、「敗戦=占領」と分かち難く結びついている9月2日ではなく、お盆の時期である8月15日が、8月6日とともに「平和=終戦」を称える日として、国民的記憶の醸成に貢献してきたのだ。
その意味では、「八月十五日」という季語を「平和=終戦」の象徴として使う、あるいはそう読み取ってしまうのは、いわゆる「55年体制」というレジームの範疇だ、ということができる。しかし、それは私たちの「忘却」の上に成り立っているということもまた、忘れてはならない。「カンバスの余白」は、わたしたちが考えている以上に、まだまだ大きいのではないか。
(堀切克洋)