服部崇の「新しい短歌をさがして」

【連載】新しい短歌をさがして【8】服部崇


【連載】
新しい短歌をさがして
【8】

服部崇
(「心の花」同人)


毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。


理性と短歌

引き続き中野嘉一『新短歌の歴史』(昭森社、1967)を読んでいる。今回は、第十三章「短歌と方法」(逗子八郎主宰)を見てみたい。

第一次「短歌と方法」(昭和七年三月――昭和八年六月)は、その創刊に当たって次のように書いている(同書232頁より再引用)。

人間の歴史はつねに新しい方法の歴史ではなくてはならない。時代とともにふるびた方法は方法でない方法として、伝統のなかに死滅してゆくといふ余りに明白な条理を誰が否定し得よう。われわれは理性の活動により、さらに深く新らたなる方法を作りださねばならぬ。

当時、新しさに惹かれていたことがわかる。古びた方法は方法でないと主張している。そこには新しい方法を作り出そうとする強い意気込みが感じられる。その際、「理性の活動」によるとしているところが一つの特徴となっている。

第二次「短歌と方法」(昭和八年十月――昭和十八年八月)については、中野嘉一によれば、「昭和十年十一年頃がこの結社の全盛期であったとみるべき」(同書233頁)とのことであるが、「超現実主義、現実主義、浪漫派、主知派、精神分析派等が雑居しつつ、然も極めて華かな親和的な空気が感じられた」(同書233頁)とされている。昭和九年から昭和十年にかけてのいくつかの短歌を引いてみよう(同書234頁より再引用)。

奴隷商人の髭ナラ兎モ角 聖ジョン様ノオ手ハ恐ロシイ 星ノ降ル夜ハ馬ト睡ッタ   山田盈一郎

或朝短剣が垣根の蔓薔薇に刺さってゐた私はひっそり蒼穹の内側に座った   逗子八郎

汗ばんだ地図に内臓がかくしてある。煤煙に鳩がくろずんでいった   宮崎信義

一首目、奴隷商人の髭と聖ジョンの手の比較。二首目、短剣が刺さった蔓薔薇。三首目、内臓に隠した地図。いずれの短歌も文語を用いないようにしている(助詞「た」で終わる)のが特徴的である。それぞれ着想が詩的である。これらの短歌が当時「ポエジイ運動」と呼ばれていたものに強く影響を受けていたことは明白である。

「短歌と方法」昭和十二年五月号の特集は「新短歌の課題」であった。特集の冒頭には次のように書かれていた(同書243頁)。

今やポエジイの確認は終った。来るべき僕等の課題は尖鋭なあらゆる場への働きかけである。歌壇ポエジイ運動は既に過去のものとなった。かくして僕等「短歌と方法」のマンブルは次の運動を促進しようとする。20世紀の名に於て、与へられた新短歌の課題に対する僕等の態度に注目するがいい。

同特集の主要テーマは「詩の評価の基準、世界観と詩行為の関係、詩の意味、科学と詩、詩人の社会的関心、思想と象徴、詩とレアリテ、人間性と詩、詩のポピュラリティ、詩への希望」であった(同書243頁)。新短歌の課題として「短歌」ではなく「詩」がテーマの中心となっていることが見て取れる。

「短歌と方法」昭和十三年六月号から次の作品を引く(同書241頁から再引用)。

古生層の深緑。鱗のやうな眼をして洋灯を磨いてゐる   逗子八郎

Q市の叔母は饒舌に脚を早めた 飢饉もヒットする あれは象皮病の処方だ   林亜夫

目醒めた花のダイヤルよ再び廻せニムフ達の呼声に トラムペットの彼方へ   樹原孝一

一首目、洋灯を磨くひとの行為と古生代が直結する。二首目、象皮病の患者に対する姿勢が問われる。三首目、トランペットをかろやかに演奏する。

はたして、これらの短歌は、さらなる新しさを生み出していたのか。新しい短歌を生み出すための方法は確立していたのか。この点に関し、中野嘉一は、山田盈一郎「詩と言語に就ての簡単なる試論」を引用している。ここでも再引用しておきたい(同書241頁)。

正統的な詩的表現の方法としてポエジイから作品に結果する過程は、単純な文字の無秩序な配置をもって完了するものではなく、思考という直接な作用によって分解し、綜合してゆく事により単なる文字のイメージが消え、純粋な存在としての論理そのものの実践が始まり、そこにポエジイとの直接な関係のみが残され、普遍化されたイデオプラスティの作像が完成され、作品として結果するものである。

ここでは、詩的表現における思考の作用が強調されている。「単純な文字の無秩序な配置」では完了しないとして、論理の実践によるプロセスが作品の完成に必要であることが示唆された。

こうした「短歌と方法」の時代が築いた新しい短歌に対する理知的な取り組みは、やがてくる戦争の時代には下火になってゆく。


【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。

Twitter:@TakashiHattori0

挑発する知の第二歌集!

「栞」より

世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀

「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子

服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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