【連載】
新しい短歌をさがして
【11】
服部崇
(「心の花」同人)
毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。
歌集と初出誌における連作の異同
菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)が刊行された。本歌集の「著者略歴」には、
1990年生まれ。東京出身。「東京大学本郷短歌会」「パリ短歌クラブ」元会員(現在いずれも解散)。「心の花」会員。パリ・シテ大学(旧パリ第七大学)博士課程修了。専門は十八世紀フランス文学。
とある。「パリ短歌クラブ」は2014年3月に発足、2020年8月に解散している。パリに在住している人たちを中心に毎月歌会を開催し、毎年、「パリ短歌」を刊行していた。菅原百合絵は創刊号「パリ短歌2015」から終刊号「パリ短歌2020」まで毎回、連作を発表している。(なお、2015から2019は安田百合絵の名に、2020は菅原百合絵の名になっている。)
今回は、歌集と初出誌における連作の異同について、菅原百合絵『たましひの薄衣』を例に検討する。
歌集『たましひの薄衣』は第I部から第Ⅳ部までの四部構成。以下では、「パリ短歌」における連作と歌集における連作について、それぞれのタイトル、歌数、歌集における配置は次のとおりとなっている。
2015 「L‘amante à venir (来るべき恋人)」(十首)
歌集第Ⅰ部の3番目の連作十首
(歌集にも同じルビ)
2016 「Figure sans figure」(十首)
歌集第Ⅰ部の1番目の連作九首
(ルビ「かたちなきすがた」を追加)
2017 「Clair de lune」(十首)
歌集第Ⅲ部の3番目の連作十二首
(ルビ「月明」を追加)
2018 「La méditation nocturne」(十首)
歌集第Ⅳ部の3番目の連作十三首
(「夜の沈思」に改題)
2019 「Partir, c’est mourir un peu」(十五首)
歌集第Ⅳ部の4番目の連作十五首
(ルビ「発つことは死にかも似る」を追加)
2020 「À chacun sa solitude」(十五首)
歌集第Ⅳ部の6番目の連作十五首
(ルビ「それぞれの孤独」を追加)
連作のタイトルは、「パリ短歌」においては6連作すべてがフランス語であったのに対し、歌集においては日本語のタイトルに変更したもの、日本語のルビを追加したものがある。これは歌集の読者に対する配慮であると思われる。
連作の歌数は、「パリ短歌」においては十首または十五首となっているが、歌集では増減があるものが見られる。「パリ短歌」においては十首、十五首、二十首といった歌数の指定があったのに対し、歌集では連作の歌数は自由に決められる。歌集における連作の歌数が様々となっているのは、編集の際に歌の追加や削除を含めた検討がなされた結果であると思われる。
歌集における配置は、第I部に「パリ短歌2016」、「パリ短歌2015」、第Ⅲ部に「パリ短歌2017」、第Ⅳ部に「パリ短歌2018」、「パリ短歌2019」、「パリ短歌2020」からの連作が置かれている。このことからは、歌集における配置は初期の連作から最近の連作へとほぼ年代順に配置しようとしていることが見て取れる。
パロールの泉に足裏をひたすあなたの零す言葉にぬれて
歌集の冒頭に置かれた一首。「Figures sans figure (かたちなきすがた)」(九首)の冒頭の一首。「パリ短歌2016」に十首連作「Figure sans figure」を発表。その冒頭の一首でもあった。
『フェードル』の焔なす恋たどりつつ聞けば総身にさやぐ葉桜
「パリ短歌2015」に十首連作「L‘amante à venir (来るべき恋人)」を発表。その冒頭の一首でもあった。『フェードル』はフランスの劇作家ジャン・ラシーヌ作の悲劇。
窓に頬つけて見てゐる月繊し夜をあなたの眠りに添はず
「パリ短歌2017」に十首連作「Clair de lune」を発表。その連作の最後に置かれた一首。歌集においても連作の最後に置かれた一首となっている。両連作の間では歌の配置の変更や歌の入れ替えが行われている。
霧雨にぬれて微光をかへす樹の静けさに凪ぐ夜の思ひは
「パリ短歌2018」に十首連作「La méditation nocturne」を発表。その連作の最後に置かれた一首。歌集においては、この一首のあとに三首追加されている。両連作の間では歌の配置の変更や歌の追加が行われている。
うつりゆく季節の際を歩みきて婚前といふ時間に入りぬ
歌集の連作「Partir, c’est mourir un peu(発つことは死にかも似る)」の冒頭に置かれた一首。「パリ短歌2019」における十首連作「Partir, c’est mourir un peu」の冒頭に置かれている一首は
うつりゆく季節の際にゐるやうな婚前といふ時間に入りぬ
であった。珍しく改作されている。改作に当たっては初出における直喩を嫌ったものと思われる。
Partir, c’est mourir un peu (発つことは死にかも似る)と嘯きて発つごと今し娶かれなむとす
( )はルビ。
歌集の連作「Partir, c’est mourir un peu(発つことは死にかも似る)」の最後に置かれた一首。「パリ短歌2019」における十首連作「Partir, c’est mourir un peu」の最後に置かれた一首でもあった。
死の後に枝差しかはす淡さもて婚むすびたり寡黙な人と
「パリ短歌2020」に連作「À chacun sa solitude」を発表。同連作の七首目に置かれている一首。歌集の連作「À chacun sa solitude(それぞれの孤独)」においては八首目に置かれている。一首には「ピレーモーンとバウキス」との詞書が添えられている。ピレーモーンとバウキスはローマ神話に出てくる老夫婦。
毀さずには触れえぬものありペレアスの渉りたる情念の薄ら氷
「パリ短歌2020」の連作「À chacun sa solitude」の十一首目に置かれている一首。歌集の連作「À chacun sa solitude(それぞれの孤独)」においては十二首目に置かれている。この一首にはモーリス・メーテルリンク『ペレアスとメリザンド』に関する詞書が添えられている。
以上、歌集と初出誌における連作の異同について見てきた。初出誌としては「パリ短歌」を取り上げた。「心の花」、「本郷短歌」については見ていない。菅原百合絵が連作を歌集に収めるに当たって初出誌に発表した際からの変更を行うか否か様々な検討を行ったことが見て取れた。変更がなされた点、変更がなされなかった点を含め、これらの連作からはこれまでの菅原百合絵の歌作上の足跡をたどることができた。
【今回紹介されている歌集はこちら↓】
ほぐれつつ咲く水中花──ゆつくりと死をひらきゆく水の手の見ゆ
満を持して刊行される、菅原百合絵待望の第一歌集。
人間が荒れ狂う今世紀にこのような美しい歌集が生まれたことをことほぎたい。
────水原紫苑
静謐で深い歌の探求が続けられていたことに胸を打たれる。
────野崎歓
【収録歌より】
ネロ帝の若き晩年を思ふとき孤独とは火の燃えつくす芯
たましひのまとふ薄衣ほの白し天を舞ふときはつかたなびく
水差しより水注ぐ刹那なだれゆくたましひたちの歓びを見き
一生は長き風葬 夕光を曳きてあかるき樹下帰りきぬ
「わたしの夫」と呼ぶときはつか胸に満つる木々みな芽ぐむ森のしづけさ
【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
「心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。
Twitter:@TakashiHattori0
挑発する知の第二歌集!
「栞」より
世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀
「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子
服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】