【第1回】
子規と明治期の活字〈前編〉
木内縉太
●金属活字のはじまり
正岡子規は明治を代表する文学者の一人であるが、子規の生きた時代はまた、金属活字による活版印刷の揺籃期でもあった。本稿では、子規と金属活字の連関を照射することによって、明治人としての子規のエクリチュールの幻影を少しでも垣間みたいと思う。
本邦における金属活字の嚆矢は、十六世紀末から十七世紀初めにかけてのキリシタン版によるものとされる。しかしこれは、禁教に伴う迫害により早々に中絶を余儀なくされ、技術が伝承されることはなかった。かわって、今日にまで貫流する金属活字の濫觴とされるのは、オランダ通詞であった本木昌造が、宣教印刷技師ウィリアム・ギャンブルを長崎に招聘し技術伝承を受けた明治二年のことである。このとき伝承を受けた者のうち、本木昌造をはじめとする一派は、のちの東京築地活版所の前身となる活版所を創設し、また別の一派は、政府系の活版所である印刷局の礎を築いた。とくに東京築地活版所の活字は、「築地体」と称ばれ、今日の書体デザインに絶対的なる影響を与えていることは疑いを容れない。
また、遅れること明治九年には秀英舎が創業された。秀英舎の活字は「秀英体」と称ばれ、「築地体」と合わせて、本邦金属活字の二大潮流として今日にまで影響を与えている。
●子規の著作と活字
子規が活字に対してどのような視座をもっていたのかは、寡聞ゆえに不明であるが、当然、全くの無関心であったとは考えにくい。例えば、庭の草木の配置を俳句と罫線をもって表現した「小園の図」は、コンクリート・ポエトリーのようであり、明確にタイポグラフィの効果を企図しているといえる。さらには、やや余談めいてしまうが、次のような逸話が残っている。あるとき、高浜虚子が、子規の絵日記ともいえる『仰臥漫録』を「ホトトギス」へ掲載するよう勧めたところ、子規はひどく激しこれを拒絶したという。この出来事は、単に日記の秘匿性によるところという境域を脱して、『仰臥漫録』の手書きによる一種のカオスを、活字へ転写せしめることの不可能性を子規が直覚していた証左ともいえるのではないだろうか。
閑話休題。子規じしんの活字に対する姿勢は措いておくとして、明治期当時、子規の著作はどのような活字によって組まれていたのだろうか。子規の広範な著作を書籍、雑誌、新聞に大別し、またその中から主要なものを抽出し、点検を試みた。対象の著作は、次に掲出したとおりである。
書籍
『獺祭書屋俳話』(明治26年5月21日発行)印刷所:日本新聞社
『寒玉集』(明治34年4月28日発行)印刷所:恵愛堂
『新俳句』(明治31年3月16日発行)印刷所:秀英舎
『獺祭書屋俳句帖抄上巻』(明治35年4月15日発行)印刷所:秀英舎第一工場
雑誌
「早稲田文学」
第五号 明治29年3月1日発行 印刷所:秀英舎第一工場
第二十九号 明治30年3月1日発行 印刷所:秀英舎第一工場
「ほととぎす」
第一号 明治30年1月15日発行 印刷所:海南新聞株式会社
第三巻第九号 明治33年7月10日発行 印刷所:恵愛堂
新聞
「日本」
明治25年5月27日発行
「小日本」
明治27年2月11日発行
「海南新聞」
明治28年9月1日発行
しかし、この点検は意外にもあっけない結果となった。というのも、そのほとんどの著作の本文において、秀英体の五号活字(号とはサイズの単位で、五号はおよそ10–10.5ポイントに相当する。明治中期の本文における基幹サイズである)が使用されていることが判明したからである。これらの字形は、明治27年、秀英舎鋳造部製文堂発行の活字見本帳『活字類見本 未完成』に見られるものと酷似していることがわかる。この事実は、年代ごとに字形が変化してゆく秀英体五号活字のなかでも、比較的初期のものであることを意味する。
一方で、「小日本」「海南新聞」の使用活字は、東京築地活版製造所発行の活字見本帳『五号明朝活字書体見本 全 明治廿七年六月改正』に見られる築地体の五号活字に近いように思われる。ただ、同一字種における異字形の活字の混入も多く、判別は容易ではない。また、「ほととぎす」第一号の使用活字は、『活字類見本 未完成』に見られる初期の五号活字の字形というより、時代が下がった明治43年、秀英舎鋳造部製文堂発行の活字見本帳『活版見本帖』掲載の改刻が進んだ五号活字に近い。
やや煩瑣的な手続きとはなったが、ともあれ、子規の著作になかんずくひんぴんと現れる、初期の秀英体五号活字に焦点を当てて、見てゆきたいと思う。(→「後半」へつづく)
(木内縉太)
【執筆者プロフィール】
木内縉太(きのうち・しんた)
1994年、徳島県鳴門市生まれ。2017年、「澤」俳句会入会。2021年、第八回「澤」特別作品賞準賞受賞、2022年、第22回「澤」新人賞受賞。第6回俳人協会新鋭俳句賞準賞。澤俳句会同人、「リブラ」同人、俳人協会会員。@kinouchi9