
鳴声が足音が消え竈猫
塚本武州
猫が温もりの中で、安心しきっている、という一つの事実。
鳴き、歩き回っていた猫が、やがて動きを止める。鳴声もなくなり、足音も立てず、じっと丸くなっている。その静まり方に、十分な温もりが伝わってきます。
昔、厨の竈は、冬の家の中で熱が集まる場所でした。
竈の火が消えた気配を感じ取り、その中に身を寄せる猫の姿は、ごく自然な日常の景色でした。
安心できる場所を見つけたとき、猫はもう何も訴えません。
動く必要も、鳴く必要もなくなり、静かに身を任せます。
現代の暮らしに、竈はほとんど残っていませんが、猫が温もりの中で丸くなり、眠りに入る姿は、今も変わらず見られます。
暖房の前や、日だまりで、同じ沈黙が生まれます。
その光景は、ありふれていながら、いつもそこにあるとは限りません。
猫が安心して眠れるということは、穏やかな日常が保たれている証でもあります。
この句は、その壊れやすい幸せのひとときを、音の消失というかたちで、静かに掬い取っています。
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。

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