
はつ恋のひとの白髪の涼しさよ
村山恭子
(「愛鍵」)
作者は、岐阜県在住。「菜の花」「楽園」「豈」の同人で、現代俳句協会でもご活躍中である。恋の句会作品集「愛鍵」に寄せられたエッセイによると、八百屋お七と同じ丙午生まれとのこと。火のような恋をしたことがあるのかどうかは分からないけれど、以前から恋の句には興味を持っておられたようだ。
「愛鍵」の20句は、季節の移ろいとともに、幼い頃の恋と遠い恋と現在が交差しつつ進んでゆく。
ゆびきりの相手忘れし桜貝
フリージア永遠にしりとり続けたき
〈ゆびきり〉はきっと、結婚の約束だったのだろう。あまりにも幼かった頃の約束で相手が誰であったのかも思い出せない。だけれども小さな桜貝のように淡いときめきが残る。フリージアの花が下から順に連なり咲いてゆくように、ずっと〈しりとり〉ゲームをしていたかった相手はまた違う人かもしれない。恋の駆け引きや会話も〈しりとり〉のようなものだ。
密会は蛍袋の奥で奥で
ひと粒の愛・夢・不実・マスカット
〈密会〉をするなら、蛍袋の中で逢引をする虫のように狭い密室の奥の奥で、人知れず逢いたい。こんなドキッとする句も詠まれるのだ。〈ひと粒の愛〉の句も冒険的な句である。マスカットの青さが若い恋を思わせる。
生と死のあはひ張り行く蜘蛛の糸
色町の格子細きや酔芙蓉
〈生と死のあはひ〉に蜘蛛が糸を張ってゆくとは、時間的にも空間的にも壮大な発想である。蜘蛛の囲は死への罠である。つまりは、恋の罠でもある。色町の格子もまた、現実と夢との境界である。遊女たちが繰り広げた虚の恋は時に命がけとなる。丙午生まれの激しさが見え隠れする句である。
よきひとと離れて座りソーダ水
〈はつ恋の・・・〉の句のあとに置かれた句である。初恋の人とは、同窓会で再会したかのような演出である。だが、近くには座らず離れて座った。季語の〈ソーダ水〉が青春時代を思わせる。きっと昔も、みんなでレストランに入っても離れて座ったのだろう。
はつ恋のひとの白髪の涼しさよ 村山恭子
初恋の人と再会して幻滅したという話をよく聞くが、掲句では涼しく感じたのだ。しかも白髪が。白髪が似合う人とか、年をとって格好良くなる人とか、そういう人だったのだろうか。いや、初恋の人だからこそ素敵に見えたのだ。相手の男性とはきっと恋人関係にはならずに、片想いのままで終わったに違いない。叶わない恋というのは永遠に憧れのままなのだ。カラーリングで白髪を隠す人も多いなかで彼だけは、堂々とロマンスグレーの髪をさらしていた。そういう潔さも涼しく映ったのだと思われる。
ふと私の叔母の恋のことを思い出した。叔母のミネさんはよく喋る人で、黙っているのは眠っている時ぐらいなのではないかと思うほどである。私が高校生の時である。ある日ミネさんから急に蕎麦屋に行こうと誘われた。知り合いが湖の畔で蕎麦屋をはじめたので、一緒に行こうというのだ。喋ってばかりいるミネさんの運転は怖かったが、梅雨晴間の休みの日に湖の畔まで出かけられるのは嬉しかった。
「あなた今高校生でしょ。彼氏とか好きな人とかいないの?」。信号待ちの時にミネさんが私の顔を見ながら聞いてきた。「彼氏は最近できたけど、会話が続かなくて。電話も減ったし。もうダメかも」「男の子はシャイだから、うまく喋れないのよ。何でもいいからあなたが喋ってあげなきゃ。私もさ、高校生の時に好きな人がいてね・・・」。湖まで車を飛ばしながらミネさんは語り続けた。
「当時はね、好きな人にイニシャルを刺繍したハンカチをプレゼントするのが流行っていたの」「中世の騎士に貴婦人が愛の証としてハンカチを渡すみたいな感じかしら」「ああ、そんな小説も流行ってたわね。とにかくね、その人の誕生日にハンカチを渡したのよ。そうしたら、お礼に喫茶店でケーキをご馳走してくれたの。当時は二人きりで喫茶店に行くと、それだけで交際していると思われたものなのよ。でもね、緊張してうまく喋れなくて、それっきりになっちゃった。すごく後悔して、それ以後はとにかく喋ることにしたのよ。その人とは結局お付き合いすることはできなかったけど、大学時代は、よく喋ったせいでモテてね。とっかえひっかえだったのよ。お喋りな女は嫌いだって振られたこともあったけど、喋らなくて振られるよりはマシだと思って、何でもかんでも喋りつづけたわ。夫ともね、僕は無口だから君がよく喋ってくれて助かるっていうから結婚したの・・・」。
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