2026年6月から【木曜日】は2か月交代で〈大学俳句会〉のみなさんにご執筆いただくことになりました。トップバッターは愛媛大学(愛媛県・松山市)の「愛媛大学俳句研究会」です。3回目は、谷口歩音さん。

谷口歩音(愛媛大学俳句研究会)
掲句は、左右社出版、佐藤文香 編著(2017)『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』の中で出会った一句である。空が青いまま夜に入るという、神秘的で非現実感がある、それでいて静かに自分の心の中にすっと落とし込まれていくような時間の流れが印象的な句だ。アイスコーヒーの落ち着いた色合いと体に伝わってくる冷たさによって、夜になっていく時間の流れと夏の明るさ・青さがより際立ってくる。具体的な景を挙げるとすれば、これは白夜のことと読めるだろう。空が青いが時間としては夜、その景を「空青きまま」と空の青さの広がりと美しさを強調するように書かれている。
ただ、この句はその現実世界の白夜という現象をこえた世界観の句と捉えたくもなる。すでに日は暮れて暗いけれども、空には変わらぬ青さが残っている、私たちの目では捉えきることのできない「青さ」が、夜の空に存在しているのかもしれない。空の青さと、「夜に入る」から感じられるゆっくり流れていく時間の長さによって、理屈を離れた美しさと壮大さ、空の深さが表現されている句でもある。
この句の「夜」のように、俳句にはしばしば、時間帯を表す言葉が出てくる。平易な言葉ながら、使う句の雰囲気や表現の仕方によって様々なイメージを想起させることが、これらの言葉の面白さである。また、自分自身の生活実感に無意識のうちに引き寄せながら読むことができる、結果として読者の側でも様々なイメージをそこに付加し、読みを深められるというのもこれらの語を使った句の良さであろう。
この点で、私が好きな「朝」の句がある。
囀や朝は頁のやうに来る/南十二国
同じく、『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』掲載の一句である。
囀という季語から始まる爽やかな空気感の中に、直接書かれているわけではないが、夜明け前から、あるいは朝まで夜を徹して本を読んでいる様子が想起させられる句である。
「朝が来る」ことに対して抱く感情には、朝の光の明るさや新たな一日への期待感といったプラスの感情と、今日一日に対する不安や憂鬱さといったマイナス感情の両方がある。「頁のやうに」という比喩は、囀の音や澄んだ空気の印象と相まって、1枚の薄い頁、風ですぐにめくれてしまうような軽さの頁を想起させる一方、そこに感情のプラスマイナスを限定させない。簡単に次の頁がやってくる朝の軽やかさともとれるし、主体の感情とは無関係にすぐめくれてしまう頁の様子が、あるいは紙1枚をめくる動きの無機質さや淡白さが、人間の意思とは無関係に起こる天文現象として朝を迎えたことへの無力感や虚無的な軽さと重なるようでもある。そのどちらの感情も否定されることなく読める、複雑な感情を言い表したこの比喩に、不思議なほどの納得感を覚えた。
寒明や夜空どこまでうすくなる/阪西敦子
「朝」「夜」といった時間帯を表す語が含まれている句を見ると、こういった時間帯の区分は人間の恣意的・主観的なものなのだと思わされる。先の二句に同じく『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』掲載のこの句は、それを特に表している句のように感じられた。夜空がうすくなるということは、おそらく夜が明けていくことなのだろう。どこまで夜空と呼べるのか、空のどの濃さからは朝と呼ぶのか、空の変化と私たち人間の意識の狭間がきれいに切り取られている句である。
そしてこの句は、冒頭の〈アイスコーヒー〉句に近い感覚を持っていると見ることができる。白夜を詠んだ句か否かに関わらず、「空青きまま」が昼の明るさをそのまま残している景だと解釈すると、この句における「夜」は、空の色や明るさを基準としていない。「夜」という私たちの把握は、自分が夜だと思ったから夜、あるいは社会や共同体の誰かによって夜と決められたから夜、というような人間の解釈が介在していることがわかる。
〈囀や〉句も、〈寒明や〉句と同じく夜と朝の境目を表現している句である。自分の意思とは無関係に規則的・機械的にやってくる朝、すっと頁がめくれるようにすんなりとやってくる朝。何かしらの状況を判断基準として主体の主観を介しながら、夜から朝への切り替わりが「頁のようだ」と把握されるに至っているのである。
『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』の掲載句には、季語以外の要素に「夜」という語が用いられている句が、同じく「朝」や「昼」という語が用いられている句よりも多く見受けられた印象がある。また、今回本稿で取り上げた3句のうち、〈アイスコーヒー〉句は「昼→夜」、〈囀や〉句と〈寒明や〉句は「夜→朝」への時間の変化を詠んでおり、それぞれ夜、朝という異なる時間帯へ向かう変化を表現している。両句から受ける印象は違っているものの、「夜」と接する境界を捉えているという点では共通しているという見方もできる。
俳句を作る私にとっての「夜」は、一つ一つの音が澄んで聞こえ、季節ごとの音や空気感の違いを特に感じられる特別な時間であり、同時に、自然の美しさ、光のない暗さ、静けさを起点に、言葉になりきらないような感情が入り混じる。一方、視覚の自由が奪われた夜を経て「朝」が来ることは“開放”であり、本当の自然の美しさや壮大さを享受できている感覚になる。夜の暗さとそこから帰着する自己の内面への意識、朝や昼の明るさとのコントラストから、本当の自然の美しさと人間存在への意識へとつながる時間。夜のこういった側面が、言葉の数が限定される俳句において、特に力を発揮しているのかもしれない。
【参考文献】
佐藤文香 編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社、2017年)
今回取り上げた3句はいずれも、この『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』からの引用である。
(谷口歩音)
【サークルプロフィール】
愛媛大学俳句研究会
俳都・松山を拠点に活動中。現在、会員19名。主な活動は週1回の句会に加え、ときどきの連作句会・吟行・読書会など。下部組織に「深夜散歩部」「フリスビー部」「凧揚げ部」などがある。BOOTH(https://booth.pm/ja/items/7629894)にて機関誌『蜜柑』を絶賛発売中なので、よろしくお願いします。
【執筆者プロフィール】
谷口歩音(たにぐち・ほおん)
愛媛県出身。俳句甲子園を機に、高校1年生より句作を開始。愛媛大学俳句研究会所属。