
愉しき寄港/砂糖負ふべき/紫紺の夜
小津夜景
(句集『花と夜盗』)
『花と夜盗』の巻末、小津による「おぼえがき」によれば、掲句はポール=ルイ・クーシュー他によるフランス語最古の句集『水辺に沿って』(1905)所収の作品を俳句により翻訳したもので、原典が併載されている。
原典を直訳すると、次のようになる。
Dans le soir violet(紫色の夕べのなかで)
Arrivée délicieuse.(甘美な到着。)
Il faut coltiner des sucres.(砂糖を担がねばならない。)
“coltiner” は「(重いものを)背負う・運ぶ」の意である。荷を運ぶ者たちの姿が、脳裏に立ちあがる。
「負ふべき」という義務の響きが、「砂糖」ということばで、思いがけずやわらぐ。重労働であるのに、運ばれる荷物が砂糖だと知ったとき、景があまくなる。
その〈ずらし〉に、心をつかまれてしまう。
『花と夜盗』には、白居易『春中与蘆四周諒華陽観同居』の一節も引かれている。
杏壇住僻雖宜病
その大意は、
〈学問の場であるこの辺鄙な地に住むのは、病の療養にはよいとはいえ──〉となる。
杏壇は、孔子が講義をした壇のまわりに杏の木が植えられていたことに由来する、学問の場を指す語とのこと。
これが小津の手によって、短歌へと変貌する。
あんず咲く鄙の住まひは平穏でヴァカンス気分
もてあましたり
杏壇が、あんずの花へ。
学問の場での暮らしが、ヴァカンス気分へ。
あんずの花咲く庭。
置かれたテーブルセット。
赤ワインのグラスを手にくつろぐ姿まで浮かんできてしまう。
しかしそのヴァカンスさえ、もはや持て余しているというのだ。
漢文の原典から、ここまで軽やかに景色をひらいてしまう。こんな自由があるのだと感じ、「粋だなぁ」と思わず息がもれた。
その〈粋〉に触れながら、ことばについて思いをめぐらせているこの時間が、いまはただ、ありがたい。
(いなば也)
【執筆者プロフィール】
いなば也(いなば・なり)
短詩、俳句
楽園俳句会会員
X:@poet_Shijyu
note:https://note.com/from40_letters
mail:inabanary@gmail.com