【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#2

【連載】
もしあの俳人が歌人だったら
Session#2


このコーナーは、気鋭の歌人のみなさまに、あの有名な俳句の作者がもし「歌人」だったら、どう詠んでいたかを想像(妄想)していただく企画です。あの名句を歌人のみなさんはどう読み解くのか? 俳句の「読み」の新たなる地平をご堪能ください! 

今月の回答者は、三潴忠典さん・野原亜莉子さん(「心の花」)・上澄眠さん(「塔」)の御三方です。


【2021年5月のお題】

神田川祭の中をながれけり

  久保田万太郎


【作者について】
久保田万太郎(1889-1963)は、岸田國士らと劇団「文学座」を結成したことで知られる劇作家。江戸情緒残る下町を舞台に、ペーソス漂う芝居をたくさん作っていて、いまだにファンは多い。万太郎が俳句をはじめたのは慶應大学在学中で、戦後に「春燈」を創刊・主宰。赤貝を喉に詰まらせて死ぬまでの約30年、文壇サロン的な「いとう句会」の宗匠としても活動。映画監督の五所平之助、小説家の川口松太郎ら、さまざまな文人が集った。


【ミニ解説】この句の季語は「祭」(夏)です。京都にお住まいの方なら、葵祭(賀茂祭)と祇園会(祇園祭)があるから想像がつくと思いますが、俳句で「祭」といえば夏の季語になります。一般的には、五穀の豊穰を祈るのが「春祭」、豊穰を感謝するのが「秋祭」。では、「夏祭」の目的は何でしょう?

葵祭の起源は、欽明天皇(540~571年)の時代の大凶作だといわれています。つまり「祟り」を「しずめる」ために神様を「まつりあげる」ということ。一方で祇園祭がはじまったのは、869年。京都で疫病が蔓延した年でした。気温があがってくると、ウイルスや害虫も元気になってくるのが自然の摂理。神様を「まつりあげる」ことで、困り果てている人びとの心を「しずめる」意味もあったのでしょう。夏祭は、アップ・アンド・ダウン。

ところで、この句は「神田川」とあるので、舞台は京都ではなく東京ですよね。五月に行われる神田祭かと思いきや! じつは浅草榊神社の祭りであるそうで、そういえば万太郎は、浅草・雷門近くの足袋屋のせがれとして生まれたのでした。

「大川」とも呼ばれる隅田川に流れ込む神田川は、小さな石鹸がカタカタ鳴るあの名曲で有名ですが、ジブリ美術館近くの井の頭公園に湧き出ている川で、東京を東西に流れています。中央・総武線に新宿側から乗り込むと、東京ドームがある「水道橋」、医科歯科大学や明治大学のある「お茶の水」へと向かって、神田川を見下ろすことができます。

万太郎が詠んだ「浅草榊神社」は、神田祭が行われるお茶の水よりも、もう少しだけ東側、隅田川に流れ込む直前のあたりにある神社で、駅でいうと「浅草橋」や、かつて国技館があった「蔵前」近く。

このへんはいまでもわりと「ひっそり」しているエリアですが、江戸時代まで遡ると「金貸し」が集まる場所だったのだとか。いまでいうと、トレーダーなどが六本木に集まるような感じだったといえましょうか。幕府の米蔵(いまでいう日本銀行?)があったことから、蔵前と呼ばれるようになりました。

さて明治に入ってこの米蔵の跡地にできたのは、東京職工学校。富国強兵のシンボル! 現在の東京工業大学の前身にあたります。しかし1923年の関東大震災でまさかの崩壊。かつての正門付近は、第六天榊神社の境内となっていて、他には浅草中学校などが旧校地内に立地されています。

ちなみにこの句が詠まれたのは1925年のことで、付近の景色は様変わりしただろうことが想像されます。また、この年はご存知のように治安維持法が制定された年でもあり、前年には日本初の現代劇用の常設劇場である築地小劇場がつくられたばかりでした(築地は海寄りなので、だいぶ隅田川の河口近くです)。

ずいぶんと長々と俳句のコンテクストの話ばかりをしてしまいましたが、万太郎の句は、小学生でもわかるやさしい言葉づかいなので、わざわざ解説をする必要はないかもしれません。ひとことだけ言っておけば、「神田川」が「祭の中」を流れているというところが妙味です(あれ、そのまんま?)。つまり、祭の「にぎわい」と、川の「しずけさ」、あるいは祭という「非日常」と川の「日常」という対比が、おのずと浮かんでくるところが持ち味ですね。

今から振り返ってみれば、関東大震災も治安維持法の制定も、日本の歴史にとっては転換点だったように思うのですが、この句は「まつりあげる」神様の高さがやや低め。では、それは「しずめるこころ」の水位も浅かったかといえば、そうではないような気がします。

実際に万太郎がどれだけ信心深かったかはわかりませんが、どこか無神論めいているというか、かなしみを静かに受け止めている、そんな感じがしませんか。万太郎の代表句に〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉がありますが、つねに人間の目の高さでものを見えている、そんなさびしさとたくましさが、万太郎のまなざしのなかにはあるように思います。

さて、歌人のみなさんは、この万太郎のまなざしの先にある「神田川」と「祭」のさらに向こう側にどんな景色が見えますか。あるいは逆に、さらにこちら側にどんな心情が見えますか?


うっかり神社の隣に引っ越してしまって散々な目にあっている。普段は静かなのだが、祭りの時は太鼓の音で窓ガラスが揺れるほどうるさい。外に出れば人混みに巻き込まれて歩けない。ゴミが散乱し、祭りの法被を着たおじいさんが酔っ払って道に転がっている。

人はなぜ祭りに惹かれるのか(わたしはなぜ祭りに惹かれないのか)。熱狂はいつもわたしから遠い。たくさんの人が群がって騒いでいるのを横切って帰るだけの人生だ。世界はわたしの外側を滑り落ちていって触れることができない。賑やかな祭りの中を流れる川のひんやりと冷えたさみしさと臆病さがわたしには分かる気がする。

しかし神社の隣に引っ越してからもう十年になる。わたしは祭りの人混みに巻き込まれるのを密かに喜んでいるのかもしれない。もしかしたらさらに十年後には、法被を着て酔いつぶれて道に転がっているかもしれない。それもまた人生だ、と思う。

(野原亜莉子)


丸太町駅で待ち合わせしましょう。改札は一つだけのはずなのに、約束の時刻を過ぎてもそれらしき人は現れない。あっ、あっちの丸太町駅かも。

僕が待っていたのは京阪電車の丸太町駅で、先方はおそらく地下鉄の丸太町駅にいる。京都にいた方はご存じと思うが、二つの駅は結構離れていて徒歩二十分くらいかかる。こんなことが起きないように配慮したのか、現在は京阪電車が神宮丸太町駅と改名されている。

息を切らしながら駅の階段を駆け下りたら、どうぞ、と温かいお茶を渡された。それから葵祭を見て、ベンチに座ってお互いの身の上の暗い話をした。さよならを言って、もう会うことはないのかなと、十年前のそのときは思った。

小学四年生で福岡に転校したときは山笠があったが、締め込みをするのが恥ずかしくて一度も参加しなかった。盆踊りくらいはしたが、祭のにぎわいは未だに得意ではない。祇園祭の宵山にきても、路地の薄暗がりに入ってホッとするのである。

三潴忠典)


ずっと川を見ている。

ふだん道を歩いている時、人はそんなによそ見をしない。きょろきょろしなくても視界の端に建物や通行人や街路樹なんかは入っているから、前と、せいぜい下を見て歩く。

立ち止まって、信号が青に変わったら歩きだす。角を曲がると橋がある。橋を渡れば目的地だ。足がなめらかな傾きにかかるのを感じる。目の位置が少し上がって、視界が開ける。

そこで川を見る。橋の上にいるあいだは、ずっと川を見ながら歩く。

光りながら、よどみながら、川はどこか、今僕がいる場所の遠くへ向かって進んでいる。川を見ていると、人間社会の色々なことから切りはなされるような気分になることがある。川の景色と、自分だけ。切り取られたように、それだけになってしまう。写真のフレームや、絵画のキャンバスや、俳句や短歌の定型で切り取られたように。

(上澄眠)


【今月の回答者】

◆野原亜莉子(のばら・ありす)
心の花」所属。2015年「心の花賞」受賞。第一歌集『森の莓』(本阿弥書店)。野原アリスの名前で人形を作っている。
Twitter: @alicenobara


◆三潴忠典(みつま・ただのり)
1982年生まれ。奈良県橿原市在住。博士(理学)。競技かるたA級五段。競技かるたを20年以上続けており、(一社)全日本かるた協会近畿支部事務局長、奈良県かるた協会事務局長。2010年、NHKラジオ「夜はぷちぷちケータイ短歌」の投稿をきっかけに作歌を始める。現在は短歌なzine「うたつかい」に参加、「たたさんのホップステップ短歌」を連載中。Twitter: @tatanon
(短歌なzine「うたつかい」: http://utatsukai.com/ Twitter: @utatsukai

◆上澄 眠(うわずみ・みん)
1983年生まれ。神奈川出身。心のふるさとは広島。四月から島根県民になりました。塔短歌会所属、「まいだーん」に参加。
歌集『苺の心臓』(青磁社)
Twitter:@uwazumimin

【来月の回答者は服部崇さん、鈴木晴香さん、三潴忠典さんです】



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