穴惑刃の如く若かりき 飯島晴子【季語=穴惑(秋)】

穴惑刃の如く若かりき

飯島晴子

少ない文字数、簡潔な情報量。なのに、読む者の胸を射抜くような破壊的なエナジーを伴った十七音。飯島晴子の俳句作品を読むたびに「渾身」という言葉が思い浮かぶが、この句ほどその一撃の途方もない威力に呆然とした作品はなかった。

冬眠へ向けて穴を探すべき時期にもかかわらず、いまだ地上にその姿を晒している蛇。なぜ、この蛇は穴を探して入らないのだろう。仲間の蛇のもとへ向かわないのだろう。そんなふうに自分に引き付けて穴惑の季語を、そして生物の蛇を捉えてしまうのは、中七下五が作者の自画像のように見えるからだ。群れることを断固拒否するようなきっぱりとした十二音。その強烈な響きは「刃」そのものとなって読者の心臓の前にその切っ先を向けているからだ。

俳句に限らず言葉を使う表現では、字面と音の両面のはたらきが重要となってくる。字面には視覚的な効果、音にはリズムとしらべを生み出すことにより読者の体感全体に訴える効果がある。それらが連携することで現実世界が「作者の表現としての世界」に転換される。掲句においては「刃」が「は」「じん」ではなく「やいば」と訓読みで発音されることで言葉の重量感が増し、作品全体の緊迫感も一段と上がる。また、「刃」という漢字(字面)から「抜身」の視覚的イメージが生まれる。あたかも刃自身が鞘を拒否して、何者にもまつろわぬ存在であることを主張しているかのように。それは穴に入らぬ蛇の、そして作者自身の主張でもあるかのようだ。また、冷たい光を放つ刃の形状は蛇の姿態とも重なる。十七音全体にわたる巧みな仕掛けによるイメージは重層的かつ明快で、読者を一気に作者の世界へ引き込んでいく。

もう一つ、「この刃は抜身ではないか」と思わせる点が下五の「若かりき」だ。若さゆえの怖いもの知らずの態度と尽きることのないエナジー。かつて作者自身にも存在した若い時代と記憶。それらを現在振り返ったときに蘇る痛み、妬ましさと疎ましさ。それらを「刃」と呼んでいるように思える。

そして、作者は生々しく憶えているのだ。若さの向こう見ずな鋭さ、傍若無人なエナジーと態度は他者と自分の双方を傷つけていたことを。きっと作者自身、歳を重ねてもその刃を胸の奥に注意深く抱き続けていたのではないだろうか。自分の腹の中の物が露になってこその「表現」であり、その成果物が「作品」として昇華する。だからこそ、掲句のような峻烈な俳句作品が誕生したのだろう。

まだ誰も見たことのない俳句の言葉と表現を探し求め続けた飯島晴子。その俳句人生は凄まじい格闘の連続だったに違いない。そう考えると、掲句の孤高な蛇は作者の魂の象徴にも見える。その魂は地上を彷徨しているうちに、いつしかウロボロスのように己を食みながら異界の言葉の裡へ潜っていってしまった。そんなふうに筆者には思われて仕方がない。

飯島晴子『儚々』(1996)所収。

柏柳明子


【執筆者プロフィール】
柏柳明子(かしわやなぎ・あきこ)
1972年生まれ。「炎環」同人・「豆の木」参加。第30回現代俳句新人賞、第18回炎環賞。現代俳句協会会員。句集『揮発』(現代俳句協会、2015年)、『柔き棘』(紅書房、2020年)。2025年、ネットプリント俳句紙『ハニカム』創刊。
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【2025年10月のハイクノミカタ】
〔10月1日〕教科書の死角に小鳥来てをりぬ 嵯峨根鈴子
〔10月2日〕おやすみ
〔10月3日〕破蓮泥の匂ひの生き生きと 奥村里
〔10月4日〕大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼 岡井省二
〔10月5日〕蓬から我が白痴出て遊びけり 平田修
〔10月6日〕おやすみ
〔10月7日〕天国が見たくて変える椅子の向き 加藤久子

【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ
〔9月11日〕手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄
〔9月12日〕目の合へば笑み返しけり秋の蛇 笹尾清一路
〔9月13日〕赤富士のやがて人語を許しけり 鈴木貞雄
〔9月14日〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
〔9月15日〕おやすみ
〔9月16日〕星のかわりに巡ってくれる 暮田真名
〔9月17日〕落栗やなにかと言へばすぐ谺 芝不器男
〔9月18日〕枝豆歯のない口で人の好いやつ 渥美清
〔9月19日〕月天心夜空を軽くしてをりぬ 涌羅由美
〔9月20日〕蜻蛉のわづかなちから指を去る しなだしん
〔9月21日〕五体ほど良く流れさくら見えて来た 平田修
〔9月22日〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼
〔9月23日〕真夜中は幼稚園へとつづく紐 橋爪志保
〔9月24日〕秋の日が終る抽斗をしめるやうに 有馬朗人
〔9月25日〕巻貝死すあまたの夢を巻きのこし 三橋鷹女
〔9月26日〕ひさびさの雨に上向き草の花 荒井桂子
〔9月27日〕紙相撲かたんと釣瓶落しかな 金子敦
〔9月28日〕おやすみ
〔9月29日〕恋ふる夜は瞳のごとく月ぬれて 成瀬正とし
〔9月30日〕何処から来たの何処へ行くのと尋ね合う 佐藤みさ子

【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)

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