こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ 斉藤斎藤


こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ

斉藤斎藤


大学院生の頃、三鷹駅のあたりに住んでいた。

築年数がなかなか経っていて軽量鉄骨造で物音がやたら響くが、三階建ての三階角部屋で家賃が五万円台というのは大学院生にとってかなり好物件だった。三階には同じ間取りが四室あり、二つ隣が空室で、それ以外は埋まっていた。

ある夜、男女の怒鳴り合う声が聞こえた。

音の遠さからして一番奥の部屋だと分かった。廊下ですれ違うときの挨拶の所作がすごく洗練されていて、かなり指導が徹底された接客業に就いているのか、あるいは育ちがすこぶるいいのかもしれないと思わせる女性が住んでいる。一方、そこに遊びに来る彼氏は、一応禁煙のはずの廊下で、わざわざ煙草を肺に入れずにふかしていて、着ているTシャツにはRUSS-Kと大きく書いてあって、胸には安いぎらつきを蔵したクロムハーツもどきを垂らしていて、赤褐色のダメージジーンズの裾をてかてかのロングブーツにインしていて、それでやたらに空のあちこちを見ながら遠い目をしていて、要するに私の中の「やさしさ」という部分を封じ込めて殺してしまうには充分な印象の人だった。たとえ、大戸屋のチキンかあさん煮定食で満腹になった後でも、バファリンを服用して頭痛が和らいだ後でも、どんなに満たされていたとしても、ふと目にするだけで、私の「やさしさ」という部分が欠落してしまう。

結局、喧嘩の声はずっと続いた。私はいつしか寝てしまっていたが、明け方四時くらいにドタドタという足音で目が覚めた。足音は廊下を駆け抜けて行って、そのあとをカンカンカンカンという歪で鋭い音が追いかけた。鋭い音は私の部屋の前で止まった。そのあと、どれだけ経っても新しい音はしなかった。何かが微動だにせず、そこに居る。
翌日、昼前になって恐る恐る部屋のドアを開けたら、そこにルブタンのヒールが片方だけ落ちていた。

しばらくして、その女性は引っ越した。ゴミ置き場には、RUSS-Kの衣類がパンパンに詰まった袋が捨ててあった。

そのあと、三階は私とその隣の部屋の人だけになった。

隣の部屋の人と言っても一人ではない。50代くらいの痩躯の気弱そうな男性と、20代くらいのB-BOY。ただ、二人で一緒に居ることは絶対になかった。どちらか一方だけが部屋に帰ってくる。痩躯の男性の日がもっぱらで、B-BOYの日は週に一回あるかどうか。どちらも居なくて静かな日もある。しかし、B-BOYが帰ってくるとウーファーが響いて、うるさい。

たまたまそのB-BOYと廊下で鉢合わせることもあったが、その時、彼は決まって黒いゴミ袋をもっていた。黒いゴミ袋は禁止されていたから、ゴミ置き場でも目立った。鉢合わせた時は、彼がそれを捨てている間に、私は出来るだけ早めに歩いて彼を引き離した。

ある時、B-BOYが帰ってくるのは、決まって燃えるゴミの日の前日だということに気がついた。それは、よく響くウーファーも明日燃やしてしまえ、と思ったり思わなかったりしたからだったのだが、ともかく、翌日には必ず黒いゴミ袋が捨ててあった。結局、B-BOYが何だったのか、黒いゴミ袋が何だったのかはよくわからないまま、私は引っ越した。

ある日、その三鷹の部屋で「シーサイドモーテル」という映画を観て、都市の物件は様々な人の入居と退居という流動を繰り返しながら、それぞれの部屋に大なり小なりの事件が起こっているのだなと思った記憶がある。そんなことを考えていたのだから、きっと映画には飽きていたのだと思う。

短歌を読む際に、その読み方と関連して気になってしまうのが、岡井隆の「私性」についての次の一説である。

短歌における<私性>というのは、作品の背後に一人の人のーーそう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(中略)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです。

(『現代短歌入門』1969年)

この歌を読んだ時、私はこの歌の<私性>以上に隣人の方が気になってしまった。そして、しばらくして「勉強になる」の皮肉めいたところや「長渕剛」に対するイメージの固め方から、この歌の<私性>が気になりはじめたのであった。

(安里琉太)


【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞



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