俳句とつないでくれた場所
鈴木忍(朔出版社主、元角川「俳句」編集長)
「貴方のお気に入りの店がまだ存在するなら『今』行ってあげて下さい」。
ある日の「天声人語」で目にした言葉。コロナ禍で閉店を余儀なくされた飲食店の店長がSNSで発信した渾身の訴えという。この言葉に、銀漢亭を思わずにいられなかった。
最後にお店を訪ねたのは、忘れもしない今年の2月12日。朔句会と称する少人数の句会を、神保町の喫茶店で開いた、そのあとだった。銀漢亭の奥のテーブルを借り切って、閉店間際まで楽しく過ごした日の笑い声が耳に蘇る。悔しい。あの日以来、お店を訪ねなかった自分が悔しい。
銀漢亭に初めて行ったのはいつだったろう。何かの打ち上げか二次会だったか。女性には少し重たい扉の感触が今も手に残る。ドアを開けると誰が居るのか居ないのか、冒険の入口のようでもあった。何といっても忘れられないのは、人生初の「ママ」としてカウンターに立たせていただいたこと。当時、私は角川俳句の編集長だった。
きっかけはひょんなことで、新規事業として「俳壇バー」をやってみたいと提案した私に賛同した取締役が、まずは、どこか実際のお店でトライアルを、というので伊藤伊那男さんにお願いし、二つ返事で引き受けてくださったのだ。それが忍ママの「第5木曜日」。
第5なら3カ月に一度のペースで通常の業務にも支障をきたさない。忍ママの日に限っては、新刊や電子雑誌の宣伝告知もOK。そんなことで先輩ママの天野小石さんやれなりんこと今泉礼奈さんに助けられて、初めてカウンターに立った。これまでは横並びで飲んでいた常連さんたちとの不思議な距離感。カウンターから見る店内は別世界のようだった。それから半年も経たないうちに、「俳壇バー」の夢を残して、私は早期退職したのだけれど……。
銀漢亭のすばらしさを真に理解したのは、会社を辞めて以降のことだったように思う。第5木曜日の忍ママは第3水曜日に改めて、それからも続けさせていただいた。開店前、閉店後、人生の酸いも甘いも知り尽くした伊那男さんと話をするのが好きだった。そして、銀漢亭に集い、俳句の話やそうでない話で、その場に居合わせた人たちとやたら盛り上がるのが好きだった。
俳句編集長を退いた後、サーッと潮が引くように離れていく人が多かった中で、銀漢亭で会う人たちはいつも故郷のようにあたたかかった。俳句と縁が薄れていく私を、俳句の世界につなぎとめてくれたのも銀漢亭だったように思う。
朔出版を立ち上げる前に、一度だけ伊那男さんに「銀漢亭の2号店をやりませんか」と持ち掛けたことがある。答えはこうだった。「もう少し若かったら、考えたかもしれないけどね」。
思えば、その頃から幕引きの予感はあった。
でも、それにしたって悔しい。銀漢亭が存在しているうちに、もっともっと行けばよかったと思われて、悔しくて仕方ないのだ。昆布〆め、厚揚げ、楯野川――銀漢亭よ、永遠に。
豆撒くや身に一匹の鬼育て 伊那男
【執筆者プロフィール】
鈴木忍(すずき・しのぶ)
1973年生まれ。朔出版社主・元角川「俳句」編集長。