新聞の選者をつとめていたこともあり、新年は俳句の依頼が多かったのであろう。新年の句を多く残した。
初夢や雲踏み渡る海の上
御降や雫すとおもふ鶴の首
灰の静か鍋の静かや福わかし
噛み噛むや歯切れこまかにごまめの香
をかしさはすこし雪降る子の日かな
出初式霜を散らして纏かな
何気ないけれども実感のある詠みぶりは、今でも多くの俳人を魅了する。歳時記に収録された句も多い。
星空をふりかぶり寝る蒲団かな
手袋の手をたゞひろげゐる子かな
冬ざれやつくづく松の肌の老
寒鮒や小さなる眼の濡色に
からからと鍋に蜆をうつしけり
のどけさに寝てしまひけり草の上
青梅をかむ時牙を感じけり
早稲田の夜急にしぐれぬ漱石忌
女性問題を起こしていたというだけあって、恋の句も残している。創作として詠んだ恋もあるのだろうが、現実味のある詠みぶりである。
ぬぎすての衣の乱れや去年今年
相逢うて女礼者や物語
吾恋の久しさありぬ常陸帯
誰が筆のその紅や懸想文
草合恋の中なるすさびかな
三の酉をいふ火事をいふ女かな
植物を詠んだ句にもまた色気がある。恋の想いを草花に託したのであろう。
黛を濃うせよ草は芳しき
紫を俤にして嫁菜かな
秋薔薇や彩を尽して艶ならず
暁やしらむといへば男郎花
俳句を〈渋柿のごときものにては候へど 東洋城〉と捉えつつも、俳句に情熱を注ぎ、多くの俳人を育てた。そして、今もなお色褪せることのない数多くの名句を残した。
ひそやかに女とありぬ年忘 松根東洋城
「年忘(としわすれ)」とは、年の暮に催す宴会のことである。今でいう忘年会のことで、親しい人などを集め、飲みながらその年の労をねぎらう。古くからあった風習であり、歌を詠んだり連歌の興行をしたりすることもある。
掲句は、忘年会に参加せず、こっそりと女と過ごしているのである。それもまた年忘のひとつのあり方でもあるのだろう。二人だけの忘年会だ。しかし、表向きの宴席では、「あいつは何故来ないんだ。どこにいるのだ。仕方のないやつだ」と非難されているに違いない。「年忘」は、宴会の賑わいを詠む場合が多いのに対して、掲句の「年忘」は意外でもある。大人数でわいわいと飲んで過ごすだけが「年忘」ではないのだ。日頃の付き合いをすっぽかして密かに女と過ごすのもまた味わい深い「年忘」なのである。
大学時代のことである。所属していた文化系サークルに人気者の先輩男性がいた。乗っていた車からマークというあだ名で呼ばれていた。リーダー的存在ではないのだが、いつも面白い発想をし、イベントを企画したり、盛り上げたりするのが得意な人であった。特に飲み会は、マーク先輩が居ないと始まらないくらいで、男女ともに人気があった。ある年の忘年会のことである。私はその日、バイトの都合で遅れて宴会場へと向かっていた。店の近くでマーク先輩に「やあ」と声を掛けられた。「あれ?忘年会はどうしたのですか」。マーク先輩は煙草に火を付けると「退屈だから抜けてきた」と答えた。「えー⁈帰っちゃうんですか。私はこれから参加するのに」「ねえ、じゃあ、二人でどっか行こうよ。そうだ、俺の部屋で飲まない?」「でも、忘年会に顔を出さないのは悪い気がします」「ふーん。つまんない。じゃあな」。マーク先輩は手を振って去っていった。少しもったいないことをしたなと思ったがサークルの忘年会は楽しみにしていた行事の一つだったのですっぽかすことができなかった。宴会場についてすぐに、仲の良い同級生の女の子が「ごめん、急用ができたので帰る」と言ってそそくさと居なくなった。
後日に分かったことだが、マーク先輩にメールで呼び出されたらしかった。なんだ、付いてきてくれる女の子なら、私じゃなくて誰でも良かったんだ。同級生の女の子が「マーク先輩と交際することになった」と喜んでいるのを見て、内心舌打ちをした。さらに数日が過ぎ、年が明けて間もなくのこと。マーク先輩が複数の女性と関係を持っていることを知り、泣いている同級生を慰めるはめになった。結果的にはマーク先輩に遊ばれてしまった同級生の女の子の傷ついた気持ちは分からないわけではない。だけれども、みんなが忘年会で飲んだくれて大騒ぎしている時に、こっそりと二人だけで過ごしていたことは羨ましく思った。
(篠崎央子)
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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。

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