日常や椿一輪が重たし 金子皆子【季語=椿(春)】

   春宵に夫という不思議なる客

 五〇年近く寄り添っていても夫は不思議な存在なのだ。いや、もともと夫は不思議な人なのだろう。あるいは、いつも家で顔を合わせていた夫と病室で会っている不思議を思ったか。それとも密かに走り始めた恋への後ろめたさだろうか。

「曼荼羅曼珠沙華 ― 一九九九年の秋に ― 」の章の前説は術後のことが記されている。

一九九七年三月十七日、右腎摘出、三カ月入院。その後、約二年間インターフェロンの注射を受け、引き続き闘病生活。一九九九年秋一ヶ月余の間、曼珠沙華を見つめて交歓する。その間にうまれた俳句作品群をまとめてみた。術後はじめての作品
  雨の夜流れつづける曼珠沙華
  涙流れて棒立ちの花曼珠沙華
  骨のあらわに癒えてゆく日々曼珠沙華
  先生先生と呼んでいる曼珠沙華

 インターフェロンの副作用により約二年間の闘病生活があった後に、小康を得て曼珠沙華を見て詠んだ連作である旨が記されている。雨の曼珠沙華を写生し、その雨は自身の涙となって流れる。曼珠沙華の細い蘂に痩せ衰えつつも癒えてゆく自分を重ねる。その先にあるのは、〈先生〉、主治醫である。その時、曼珠沙華は自分自身となり〈先生先生〉と呼び続ける。助けを求めて呼んでいるのか、恋しくて呼んでいるのか。

  忘れ得ぬものに朝日子曼珠沙華
  いつの間に目交いにあり曼珠沙華

 朝日子は、主治醫のこと。曼珠沙華が朝日を忘れないように皆子もまた主治醫を忘れられないでいる。主治醫は、いつも自分の目の位置に視線を合わせ話してくれた。そんな主治醫の面影が目の前にいるかのように曼珠沙華に近づく。曼珠沙華の連作は幻想的な世界へと続いていく。

  風鈴の音のなか行けば会えます
  百日紅祈りのなかに恋人立つ
 
 主治醫の勤務する熊谷総合病院は金子邸から徒歩で数分ほどの距離。会おうと思えばいつでも会えた。だが、患者だからといってすぐに会えるわけではない。病気が癒えてゆくにつれて、診察の日は間遠になってゆく。先生に会いたい、早く元気になりたい、相反する二つの祈りの中に恋しい人、主治醫が立っている。熊谷総合病院の前には、大きな百日紅の木がある。あの赤い花の向こうに恋しい人がいるのだ。

 「白い花白い秋 ― 主治醫中津裕臣先生に贈る ―」の章には、前説として曼珠沙華以降の事情が説明されている。

一九九七年、悪性腫瘍にて緊急右腎全摘の手術を受け、命を取り留めていただきましたが、二〇〇〇年夏、左腎にも腫瘍を見つけていただきました。秋に、幸いにも部分摘出により、再び命を取り留め、左腎臓を助けて残していただけました。厚く感謝申し上げ、入院生活およびその前後、千葉県旭市滞在の日々を拙い作品にいたしました。御恩ある信頼する中津裕臣先生に贈らせていただきます。
                           二〇〇〇年十一月末日
  温かし山楂子の花の樹主治醫

 山楂子(さんざし)は生薬に用いられる赤い果実が知られているが、春には野ばらに似た白い花を咲かせる。主治醫は、その山楂子の花のように温かく爽やかに見えたのだろう。

    二〇〇〇年四月、主治醫中津醫師千葉県旭市旭中央病院に御転勤となる
  主治醫の後を追うと決めたり花八手

 熊谷の家から徒歩数分の病院から車で約四時間の場所にある千葉県旭市の病院へ転勤となった主治醫。皆子は、旭市の病院へ通うことを決意する。通常、医師が転勤になった場合は、後任を紹介されるものなのだが、恐らく拒んだのであろう。旭市へ通うとなると大変なのは、家族である。何故家族は皆子の決意を受け入れたのだろうか。
 金子兜太は、皆子の死後から数年を経た91歳の時にNHKの取材を受けた。その時に、以下のようなことを述べている。

皆子が私に言うんですよ。腎臓癌というものは心労によるものが原因であることが多いそうですね。あなたは私に苦労を掛けました。率直に言って、あなたの責任だと思っていいですか?ってね。まあ、笑いながら言うんだけれどね。私は、ああ、それでいいよ。俺もそう思っている。俺の責任だということにすれば、さっぱりするだろう。なにくそと思って、闘病してほしいという思いがあったな。強く生きて貰いたいという・・・

そして主治醫への恋についても寛容だった。

 ここまで気持ちが踏み込めているのなら、彼女の支えになるな。愛する異性がいることは幸せ・・・」
   NHK「今は生きて老い思わずと去年今年~俳人金子兜太 91歳の人生訓~」

 さすがは偉大なる俳人金子兜太である。最愛の妻皆子の恋を応援したのである。かくして皆子は、月の半分を旭市の病院に近いホテルサンモールに滞在し診察治療を受けることになった。兜太と家族は、皆子の恋のために毎月旭市まで行ったり来たり。苦労をかけたから、労いのプレゼントというよりはただ、生きて欲しかったのだろう。恋をすることで楽しく生きられるのなら遠距離通院など大したことではなかったのだ。

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