今年もまた梅見て桜藤紅葉
井原西鶴
横浜に住んでいた。もちろん、あなたがではなく私がである。いや、あなたが横浜に住んでいても構わないが——ともかく。
贔屓目に見れば横浜の良いところはだいたい百個ぐらいあって、その中に入るか入らないかのところに「横須賀に近い」というのがある。横須賀のハンバーガーは、たのしい。
横浜に住み着いていたころは、私や友人たちがちらほらとバイクや車の免許をとり始めて以降、皆でそういうものに乗って横須賀にハンバーガーを食べに行くというのが一大イベントであった。
それはなぜか年末に起こることが多くて、いつからか私は、ハンバーガーを食べないとなんだか年を越せないような気持ちがするようになっていた。
大晦日には、それぞれの過ごし方があって良いのだと思う。
今年もまた梅見て桜藤紅葉
井原西鶴晩年の作に『世間胸算用』というものがある。これは大晦日における町人たちのそれぞれの悲喜劇を描き出す、いわば短編集のようなもので、副題に「大晦日は一日千金」と付されている。登場人物の大半は固有の名前を持たず、どこか突き放したような語りと、それでいて対象を深く見据えた、感傷に堕ちない冴えた筆致が出色の傑作である。
なぜことさらに「大晦日」かといえば、掛売り・掛買いが主で多くの買い物を帳面上のやりとりで済ませていた当時の町人たちの、一年の決算日が大晦日であったからに他ならない。
近世を生きた町人たちにとって、この支払いをいかに乗り切るか、あるいはいかに回収するかというのがきわめて重大な問題であったことは、西鶴の代表句「大晦日定めなき世の定め哉」においてこの日を「定めなき世の定め」とまで言っていることにも伺えよう。
さて、掲出句は「今年もまた」との言いぶりからもわかるよう、そんな慌ただしい歳末のなかにあって、一年の過ぎてゆくはやさに思いを馳せたものである。現代の一般的な俳句常識と照らし合わせれば、季語が埋没してしまって読解の難しい部分もあるが、年の瀬の、今年が終わっていく感慨を捉えつつ、そうしてあっという間に過ぎた一年の体感的な短さを、決算日に向けた目まぐるしい日々と重ねる手つきには、いかにも西鶴らしいものがある。
——と、長らく思っていたのであるが、掲出句の初出である俳諧集『蓮実』を確認すると、この句は春の部の一句目として置かれていた。
『蓮実』の編者である斎藤(紅葉庵)賀子は西鶴に師事して交流の深い人物であるから、おそらく西鶴自身も新春の句として詠んだものと考えていいだろう。
そうであれば、やや読み味が変わってくる。これが春の句であったからといって、たとえば季語を「梅見」ととって一句の景が映像的に定められるかといえばそうではない。しかし、年のはじめにあって、すでに一年の終わりを見据えて淡々と巡りゆく季節を思うことの、諦観とでもいうような独特の感性には注目すべきものがあろう。
上に私の長らくの誤解をあらかじめ示しておいたのは、そこで述べたごとく、一年のはやさを実感するのは通常年の瀬であるように思うからだ。
しかし西鶴は、年が明けて、心持ちを新たにしてなお、粛々と平坦に時の移ろいゆくことにのみ関心を向け、それらを草花の移ろいに託しているのである。この句で試みられているのは、いかにも談林的な、この場合季感を錯綜させることによる前衛表現の模索などではなく、それら俳諧が醸成した自由な風土のうえで、西鶴晩年の感慨を素直に表出させることではないか。
事実、西鶴の晩年には、この句のごとく、人生にもはや特別なことは何も起こらないということを大きな視点によってまっすぐに受け止めた句がいくつか見られる。
暮れてゆく時雨霜月師走かな
見つくして暦に花もなかりけり
『世間胸算用』において、対象との距離を保ちながら、人間の良いところも悪いところも見事に洞察して見せた西鶴の達眼は、晩年に至っては己が人生をさえまったく冷静に見通してしまったのである。
そしてそうした無常観は、西鶴作品の町人たちがそれでも生き生きと描かれているごとく、決して寂しいだけのものではなかっただろうと思われてならない。
西鶴辞世
人間五十年の究り、それさへ我には余りたるに、ましてや、
浮世の月見過ごしにけり末二年
(加藤柊介)
【執筆者プロフィール】
加藤柊介(かとう・しゅうすけ)
1999年生まれ。汀俳句会所属。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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