合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉【季語=合歓の花(夏)】

合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす

若林哲哉

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俳句へのアクセス、ということをこの頃考えている。

人口に膾炙するという点では十七音は三十一音より短く覚えやすいわけで、そのわりには書店に並んでいるのは句集よりも歌集が多く、俳句の本と言えばハウツー本が目立つ(あくまで観測範囲内でのお話です)。

いくつかの書店からは「歌集は扱うが句集は仕入れていない」「句集は動き(売上)が鈍い」といった話を伺うのだが、こちらも責任の一端を感じてしまう。

現代短歌に対して、俳句はどこか高踏的で取っつきにくさが付きまとうのかもしれない。俳句に詳しくない人に自句を見せると「よくわからない」のひとことで終わる。自分で作っているとあまり自覚しないのだが、季語とか詩情とかは、教養的とかハイコンテクストを通り越して「それおいしいの?」状態のようなのだ(くどいようですが、私のごく狭い観測範囲内のことです)。

俳句の「難しさ」についての話題を展開してしまうと危険なのでこのへんにしておきたいが、良い句集はなるべく多くの、できれば俳句に縁のなかった人にも、手にとってもらいたいなぁと単純に思うのだ。

若林哲哉句集『漱口』は、まさにそんな句集だ。

俳句を知らない人に俳句とは何なのかをうまく説明できない私でも、哲哉句を挙げれば俳句の魅力を余すところなく伝えられそうな気がする。

ぢりぢりと花を失ふ胡瓜かな 若林哲哉(以下同)

うつくしくねぢのはづれて扇風機

呼鈴の音符うするる帰燕かな

悴むや宿の鍵より棒垂れて

金縷梅や日のかたはらを雲の散り

対象を着実になぞるまなざし、そして研ぎ澄まされた感覚からしか生まれ得ない描写。特に三句目以降は、その描写と季語とが細くしなやかな糸でつなげられ、稠密で立体的な世界を成すとともに、豊かな詩情が汲み出されている。それでいて抒情に溺れず、伝統に背かぬ風格を備えているのだ。

そう、遠い昔に国語便覧で得られた、あの感動をよみがえらせてくれる作品なのである。

もう何年も前のこと。哲哉さんと飲んだ時に「俳人をアイスクリームのフレーバーに例えると?」という話題になった。私自身はチョコレートに例えてほしかったのだが、®マークの付く、お口の中でパチパチ弾ける派手なフレーバーに例えられてしまった。なるほど他人からはそう見えているのか、とちょっと納得がいかなかった。哲哉さんはというと、自ら「抹茶」と答えた(あるいは「大納言あずき」だったかもしれない)。とにかく渋い。枯淡である。

その回答には当時もかなり疑問だったのだが、句集『漱口』を読むと、果たして抹茶味だけではない風味が漂っているのである。

合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす

集中に、合歓の花はいくつかの句で登場する。しかしこの合歓の花が、もっとも情動的でジュブナイルで、内省的でもある。なぜ僕は僕に泣かされているのだろう。不甲斐なさか、悔恨か。あるいは拭い去れない原罪めいた染みが、心中に影を落としているのか。いや理由はひとつではなく、重要でもないのかもしれない。やわらかな合歓の花が傾く日に染まり、ただ自らに泣かされる。

少なくともこれは抹茶味ではない。抹茶なんてとんでもない。ストロベリーじゃないか。それともチョコミント?

斯様に若林哲哉は多彩なフレーバーを繰り出してくるのであるが、しかし同時にうっすらと切実でもある。

手のあぶら薔薇にうつしてしまひけり

熱帯魚観し背凭れの濡れてある

巻貝にかはらけの気や星冴ゆる

単に作品の多様性というだけではない。句から紡がれる物語があり、そしてそのどれもが今ここで書かれなければならなかったのだろうと思わせる。

丁寧に、みずからに誠実に世界を描写すること。

若林哲哉の切実さは、やはりそこから湧き出ているように思える。

俳句を嗜む人にも、俳句にこれから接する人にも、手に取って触れてほしい句集である。

「それおいしいの?」という問いに、「おいしいよ」と自信をもってお伝えできるから。

楠本奇蹄


【執筆者プロフィール】
楠本 奇蹄(くすもと きてい)
豆の木など参加。第11回百年俳句賞最優秀賞、第41回兜太現代俳句新人賞。句集『おしやべり』(マルコボ.コム,2022)、『グッドタイム』(現代俳句協会,2025)。
Twitter:@Kitei_Kusumoto
bluesky:@kitei-kusu.bsky.social
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【2025年7月のハイクノミカタ】
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〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり

【2025年6月のハイクノミカタ】
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〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
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【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
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〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
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