倉田有希の「写真と俳句チャレンジ」【第3回】


【第3回】

写俳亭、伊丹三樹彦


門下ではありませんし、お目にかかったのは一度ですが、自分にとっては伊丹先生とお呼びしたい存在でした。前回の「江東歳時記」の石田波郷は、それ以後特に写真と俳句を一緒に扱ったものは見当たりません。また戦前には永井荷風が「濹東綺譚」の私家版に、俳句と写真を一緒にしたものを載せていて、その他はなく、本格的な写真と俳句の活動とは言い難い。

伊丹三樹彦先生は1956年の日野草城の没後「青玄」の主幹となりました。その一方、写真と俳句を合わせたものを写俳と呼び、1970年から写俳運動を続け、2019年に亡くなりました。写俳亭はその別号です。また、写俳の「双樹の会」を作り、そのメンバーによる展示会や作品集も出版されています。

数年前、尼崎の島田牙城さんのところへ行った際、牙城さんが近くにお住まいの伊丹先生に電話をして下さいました。それでマンションへお伺いしてお話を伺ってきました。

印象深かったのは写俳に対しての熱意でした。多くの俳人は写真と俳句のコラボレーションに関心は薄く、そういった意味では異端なのかも知れません。写真は写真家の岩宮武二を師としていて、その指導がなかなか厳しかったようです。これはと思う写真を机に並べると、師匠がばさっとすべて手で薙ぎ払ってしまう。たまさかお眼鏡にかなう写真があると、その写真がなぜ良いのか、詳しく説明してくれたのだそうです。それとお会いしたとき伺った話で、群馬の伊香保温泉に伊丹先生の句碑があります。

写真のフィルムをモチーフにした黒御影石の句碑で、

 出湯の香にかんばせ和む 青伊香保   三樹彦

カメラはオリンパスの「PEN F」を愛用していたそうです。これはハーフサイズの名機であり、発売当時そのフィルムサイズでは、世界初のレンズ交換式カメラでした。伊丹先生は句集も多い俳人ですが、写俳の作品集もまた多い。手元にある写俳集を見ると、俳句を写真のなかにレイアウトしたもの、俳句は写真の外に配されたもの、その二つがあります。そして文字の間を空ける分かち書きと多行形式も併用しています。

以下は「日本秋彩」(伊丹三樹彦写俳集、2005年)からの引用です。
括弧内は倉田による写真内容の補足。

 木椅子 無人 雨後の落葉のほどほどな (無人の景、公園らしき木のテーブルと椅子)

 煙草吸う放心 男の以後知らねど  (手提げを片手に煙草を吸うジーンズの若い男)

 残照に 信号燈の点 滅 点  (電車の信号機と架線、その向こうに夕焼) 

ウェブサイトの「俳句美術館」に伊丹先生の写俳のページがあります。
http://www.haikubijutsukan.com/itami/itami.html

写俳の「双樹の会」については、個人の作品集と別に、会の作品集も出版されています。

「双樹開花2001:双樹の会30周年記念写俳集」(2001.12)
「双樹:35周年記念写俳集」(2007.5)

この2冊はかなりの稀少本で、入手はまず困難かと思います。国会図書館ならこの2冊があり、他は一部の図書館に収蔵されているようです。伊丹先生が顧問をされていた季刊誌「青群」には、その同人による写俳のページもありました(現在の掲載は未確認)。

俳句の世界で、写真と俳句のコラボレーションは一般化していませんが、興味のある方や写真も好きな方はぜひトライしてみて下さい。


【執筆者プロフィール】
倉田有希(くらた・ゆうき)
1963年、東京生れ。「里俳句会」を経て現在は「鏡」に所属。
「写真とコトノハ展」代表。 ブログ「風と光の散歩道、有希編


【倉田有希の「写真と俳句チャレンジ」バックナンバー】

>>第2回 石田波郷と写真と俳句
>>第1回 写真と俳句



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