小鼓の血にそまり行く寒稽古 武原はん女【季語=寒稽古(冬)】

小鼓の血にそまり行く寒稽古

武原はん女


作者は1903年徳島県生まれ、1998年没。舞踏家として活躍する傍らで、高浜虚子に師事して句作に励んだ。

掲句は厳しい寒稽古の一幕。乾燥と酷使で傷ついた手指の血が小鼓へ移っていくというのである。優雅な音を奏でている裏側の直向きな努力。「そまり行く」というある程度の時間の長さを感じさせる語の選択は、徐々に色が変わっていく鼓や身体の痛み、痛みを通り越した無我の境地に向かう作中主体の心持ちをも感じさせる。

他の「おとなしく人混みあへる初電車」などの作品からも真っ直ぐにものや人を描写し、師の唱えた客観写生と向き合う姿勢が窺える。

ところで、昨今のマスメディアや出版物では、猟奇的な表現や性的な表現、差別的な表現の基準を見直し、より厳しく校閲に当たっているようである。掲句もおそらくは実際にしっかりと出血しているから、読む人によっては少々怖い思いをするかもしれない。

実際に小説における「狂」という1文字の是非を巡って議論が起きたりということもあった。また、動画サイトでは人工知能を用いて一律の基準で表現の正しさを確認している(これは規模が大きく自由度が高いからこその対策ではあろうが)。そして動画の投稿者はその基準を満たすために、「死」などの不適切と思われる単語は伏せ字を使用し、「◯ぬ」のように表記していて、視聴者も特段の違和感を覚えていないようである。同様の事例は広く普及しはじめているようで、アイドルソングでも「死」は「キュン4させちゃう!」(かわいいだけじゃだめですか?/CUTIE STREET 作詞:早川博隆)と数字の読みを利用した伏せ字にされている。

前述の曲においては詞における可愛らしさのイメージを大切にする意味合いもあるのだろうが、世間における「死」という文字自体がもつ忌避性がより強くなってきたのではないかと考えた。詩歌の中では生きることと死ぬことは大きなテーマのひとつで、全く避けることは難しいように感じるが、もしも不適切な単語や文字を使った創作物を発表することを禁じられたらどうなるのだろうかと少し恐ろしくなる。例えば馴染みのある表現ではあるが、専門店・小売店に使う「〜屋」という言葉も、商売のために虐げられていた人々を侮辱する可能性がある言葉である。表現そのものの形も大きく変容していくのかもしれない。

仮に俳句の「死」に伏せ字を用いたところで、やがて「◯」や「4」といった符号に忌避性が生まれるだろう。もちろん誰かが傷つくような言葉を発信したくはないし、そのような悪意に対しては批判が起こる文壇であってほしいと思う。しかし、ただ存在しているものを言葉にできないことはもどかしくも思う。

(野城知里)


【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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