野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな
永田耕衣
「驢鳴集」(昭和27年刊行)からの一句。野分とは秋に吹く暴風のことで、当然に肉体の外の気象現象となるが、掲句は、肉体から、それも鼻孔から発生し、野原を強く吹きわたって遊びまわるという。自らの肉体の内部に生じ、出ていくのであるから、それは、要するに自分なのだと思う。壮大な想像力に恐れ入ると同時に快哉という笑いが身体の奥底に沸き起こってくる。
永田耕衣俳句集成「而今・只今」(平成25年刊行・沖積社)によって、昭和9年刊行の第1句集「加古」から平成7年刊行の第16句集「自人」および「陸沈考」(未刊集)までの耕衣の句業をすべて読めることは幸運である。
「驢鳴集」では、〈夢の世に葱を作りし寂しさよ〉〈かたつむりつるめば肉の食い入るや〉〈冬蝶を股間に物を思へる人〉など、続く「吹毛集」でも〈鯰笑ふや他の池の鯰の事も思ひ〉、〈近海に鯛睦み居る涅槃像〉、〈夜飛翔せむと耕土等静かなり〉など著名な句が多く含まれている。しかし、幸運とはそのことではない。俳句は一句一句として読まれるのであるが、耕衣の場合、これを連続して鑑賞することにも面白さがある。
句集一冊を読めば、クレイアニメーションのように、泥のかたまりが次々に自在に変幻していくような不思議な感覚を感じるだろう。泥のかたまりは耕衣の思想の底に据えられて、ひと時も止まらず動き続けるのである。一句の中に内包される世界観は簡単でもないのだが、意外にも読み手に負荷をかけず、その勢いでそのまま、次の句集も読みたくなってしまう。
時間も、人間の生老病死も、あるいは、宇宙のエネルギーも同じようにひと時も止まることがない。壮大なエネルギーのなかに没我する、耕衣の句集を読むとはそれに似ている。
(小田島渚)
【執筆者プロフィール】
小田島渚(おだしま・なぎさ)
「銀漢」同人・「小熊座」同人。第44回宮城県俳句賞、第39回兜太現代俳句新人賞。現代俳句協会会員、宮城県俳句協会常任幹事。仙臺俳句会(超結社句会)運営。
【自選10句】
春の海眠るものみな翼閉ぢ
春ともし手にして小人わが側に
折りてつくる鶴のくちばし春の暮
明日割るる器しづかに薔薇を生く
兜虫からだのなかに夜がある
浮輪から見てゐる空と戦争と
桃に傷やがて胎児の手足生ゆ
手を入れて銀河系より葡萄もぐ
鹽のみづうみ秋蝶は眼より錆び
寄りかかるもの何もなし雪をんな
【小田島渚のバックナンバー】
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
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