悲しみもありて松過ぎゆくままに
星野立子
立子を取り上げるのは金曜日の阪西敦子さんの領空を侵犯する行為かもしれないと一瞬躊躇ったものの、いやいやいや、俳句の空は往来自由なり。
<松の内>という季語がある。門松を立てておく期間を指すが、門松に限らず正月飾り全般と捉えていいだろう。私は七日までという関東の慣わしの中で育ってきたけれど、関西地方は十五日までだそうで、地域ごとに風習は異なるようだ。
<松過ぎ>は門松や正月飾りを取り払う、いわゆる松明ののち数日のことだ。四日、五日、と正月気分が次第に薄れていくなかで、七日(関東の場合)に飾を外すのはけじめで、これでお正月も終わったな、と身を立て直す気持が湧いてくる。とは言え、まだ少しふわふわと足は地から浮いていて、つまり、松過ぎとはハレからケへのランディング期間ともいえる。
掲句だが、おめでたくあるべき松の内にか、松が明けた途端か、何か悲しいことが起きた。訃報などとも考えられるけれども、もっともっと個人的なことかもしれない。周りはお正月ムードで華やいでいる。作者はそこに距離を置いて一人悲哀を振りかざしたりしない。共にいるときには口に微笑みを絶やさずにいるだろう。ただ、心の底にはぽつんと小さな穴が開いている、塞ぎようのない穴が。平常へと移ろう世間の流れに、心の穴から取り出した悲しみをそっと浮かべてみる・・・。
『實生』は昭和三十二年刊行。昭和二十三年から昭和二十六年までの五百五十句を収める。
掲句はその冒頭を飾る句だ。立子四十四歳。
このようなうらさびしい句を句集の一句目に据える大胆さに驚いたのはもうふた昔も前のことだ。勿論インパクトはそれだけではない。「松過ぎゆくままに」にも目が吸い付いた。心の動きと季語が一体化した表現は一見素直だが、なかなか出て来るものではない。そしてこの揺蕩うような調べがなんともやるせない透明感を紡ぎ出している。
初めて出会って以来、魅了されっぱなしの句なのです。
(『實生』玉藻社 1957年より)
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】