革靴の光の揃ふ今朝の冬 津川絵理子【季語=今朝の冬(冬)】


革靴の光の揃ふ今朝の冬

津川絵里子

今日、11月7日は立冬。東京では数日前に3年ぶりという木枯一号もニュースになった。

とは言え、私の住む辺りではまだ秋色の気配が濃い。それでも、「立冬」と聞いただけで体の芯がぴくんと張り詰める。来るべき冬に身構えるかのように。

掲句はそんな立冬の朝の光景を描いている。<揃ふ>なので複数の靴が並んでいると考えられる。いや、靴は左右で一対なのだから一足の靴という推測も出来るのだけれど(ああ、日本語って曖昧)。

<今朝の冬>と言った場合、その朝がどの程度の時間帯を表すのかいつも判然としないのだが、広く午前中と解釈すれば靴店ということもあるだろう。

靴屋の店頭。まだ誰の足にも馴染まず、傷一つなく、穿き癖もついていない無垢の一対が幾足も爪先を揃えて陳列されている。穿き込んだ靴が光を吸い込むのに対してまっさらな靴はまっさらな光を反射させる。レザーなら猶のこと。靴の面に一様に乗る光が明るくもどこか冷たい。靴だけがフォーカスされ、それを穿く人の存在が見えないところも寒さを呼び起こす。

本格的な寒さの来る前のこの時期、どこに冬らしさを感じ求めるか、実作者としてはなかなか悩ましい。四立(しりゅう)と呼ばれる立春、立夏、立秋、立冬のなかでも、ことに立冬は歯が立たないと思うのは私だけかもしれないが、それだけに、革靴という極めて日常的なアイテムに目を留め、その光が揃うという描写のみで冬らしさを示唆する作者の手腕に感じ入る。

もちろん、季語を<今朝の春(は新年だけれど仮に)>や<今朝の夏>としてもそれぞれの感慨はあり成り立つ。こちらの方がピンと来るという人もいるだろう。しかし、革靴の質感が最も活きるのはやはり冬ではなかろうか。

パンプスを穿いて街へ出る機会も減ったこの頃、今日はロングブーツを磨くとするか。光を乗せたブーツで歩けば信号待ちで止まるのも楽しいに違いない。

『はじまりの樹』 ふらんす堂 2012より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


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