凩の会場へ行く燕尾服  中田美子【季語=凩(冬)】


凩の会場へ行く燕尾服 

中田美子


正装といわれるファッションの中には、奇想狂想を感じさせるユーモラスなものが多い。なかでも燕尾服は本当に燕そっくりで、獣のコスプレをしているのと変わらない野蛮な印象がある。それ一枚だけを着た裸のマネキンの飾られたショーウィンドウの前を通りがかった日には、生き生きとしたその変態性に目が釘付けになってしまい、その場を立ち去るのがむずかしい。

わたしの住む町にはフランスでもっとも大所帯の数学の研究所があって、そこにいつも燕尾服にシルクハットで出勤してくる数学者の男性がいる。一般に数学者というのは変人たることが大いに期待されている稀有な職業だけれど、男性の燕尾服姿もキテるというか、イッテる感があって、すれ違うたびに、どきどきする。

ある時、男性とたまたまカフェで二人きりになったので、「とても数学者らしい服装ですね」と話しかけてみた。ほんとうに変な人なのか確かめたかったのだ。すると彼は、「ありがとう」と微笑んで「それらしく見えるように、こうやって『型』から入ってるんだ」と種明かし?してくれた。なんてことはない、普通の人だったのだ。

凩の会場へ行く燕尾服  中田美子

『ϒ』3号より。『ϒ』はユプシロンと読む。掲句の〈燕尾服〉は変態ではなく正真正銘の、夜の正装としての燕尾服だろう。そこに〈凩〉を合わせたことで、見知らぬ男が風をまとい、尾っぽをぴんと立てて急ぐ光景という、戯画的なドラマ性が生まれている。また〈凩の会場〉という表現が、実体と虚構とのあいだを揺れうごくミステリアスな時空として立ち上がるようすも面白い。

小津夜景


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【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記


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