大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼 岡井省二【季語=秋の昼(秋)】

大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼

岡井省二

 「鯉」というと『鬼平犯科帳』の「鯉肝のお里」というエピソードを思い出す。この話に出てくるお里という女が鯉の肝と同様煮ても焼いても食えない女だからというネーミングに痺れる。文春文庫では第九巻、中村吉右衛門版ドラマでは第3シリーズの第1話(野川由美子)で映像化されているのでご興味あれば検索してみてください。

大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼

 池の鯉になんとなく見入っている。特に大きな一尾の動きが自然と視界に入ってきた。それまで直線に細々としか泳がなかったその池の主が大きく旋回を始めた。あまりにも大きいのでその鯉の身が「ぎい」と音をたてているかのようだ。鯉の大きさを「ぎい」というオノマトペが物語っている。

 「秋の昼」は“空間的な広がりが感じられる”という記述が複数の歳時記でみられる。空気が澄み渡る晴天が前提となっているようだ。その「空間的な広がり」を踏まえると、鯉が池の中にこぢんまり収まっている感覚から逃れることができる。 

 俳句の中で、つけなくても成立する単語に「大」をつけるのは勇気がいる。季語にも「大西日」「大試験」と大をつけることがある。もともとそれなりにパワーのあるものに「大」をつけるのだからそれなりの心構えが必要だ。

 掲句の場合、「ぎい」という擬音に見合うのは大鯉である必要がある。小さな鯉であれば「ぎい」というよりは「きい」「きゅつ」など濁音のつかないオノマトペにしたいところだ。鯉とだけ提示しておいて「ぎい」から想像させるというやり方もあるが、そこで鯉が大きいということに辿り着いてもひとつ連想の手間を挟むだけでこれといった喜びは感じられない。この「大」は良い方向に効果を発揮している。

 「ぎい」は物がきしんで出る重く鈍い音のこと。力をこめてものごとをするさまを表す語でもある。鯉の大きな身を廻るために曲げたことで起った(と感じた)音。大鯉の「ご」の音も物理的な大きさを感じさせる。

 「廻りぬ」と自動詞にしている点にも注目すべきである。ここを「廻しぬ」としてみたらどうなるか。まず、鯉が何を廻したのか目的語が不明瞭である。大鯉が秋の昼という空間を廻した、と鑑賞することもできなくはないが、その読みでは主題にはなりにくく、作為的な仕立てとなってしまう。

 鯉は自然の営みとして廻ったにすぎない。検証を重ねてみると、やはりストレートに鑑賞するに越したことはないようだ。

『山色』(1983年刊)所収。
※「ぎい」の語義は日本国語大辞典から引きました。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



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