【第1回】
茶道の「月並」、俳句の「月並」
ルールかマナーか
『俳句のルール』という本を出した時、わずかなルールの間違いで賞の選考を決定するのは問題ではないか、という話題を、ある方から振られた。
その時の感想はこうだ。「ルール」という言葉は、一人歩きすると怖い。季語にしろ、定型にしろ、文法にしろ、「ルール」を違反したからと言って、モラルには抵触しない。むしろ、その習わしに従えば、俳句の世界を楽しく、豊かに生きられるものに過ぎない。どうしても「習わし」を「不自由」に感じるからそれは勘弁してほしいというなら、それはその人の「自由」である。
ただし、選ぶ「自由」は、選ばれる「自由」に身をさらすことでもあるから、「孤独」というリスクが伴う。四十歳を過ぎても、「自由」をあえて選択して生きてきて独身だと言いきれるのは、実にカッコいい。後は、選ばれなかっただけではないか、と言われるリスクを引き受けつつ、そのリスクと引き換えの「孤独」を、「独立」というエッジの利いた輝きに変えて示す緊張感があればいい。実際、俳句史の中には、そんなカッコいいスターもいないではない。実際、芭蕉の生き方にはそういう面がある。俳句のルールの問題に戻れば、自由律や無季の俳句、あるいは俳句の集団性や俳句らしい流れゆく時間の世界に反逆するタイプの俳句は、「自由」のリスクをあえて取って勝負した俳句と言えよう。
ところが、「賞」という俳人の「実利」が絡む場で、「ルール」が持ち出されると、とたんに生々しくなって、いけない。「ルール」は、機械的に選り分けるに便利な「指標」として、大量の応募作品の選別には便利ではある。しかし、こうなると「ルール」は「倫理」の匂いを漂わせ出し、選者は「警察」になりかねない。これではもはや、生きにくいこの世を少しでも楽しくする、という俳句の本分から遥か彼方に遠ざかってしまう。
だいたい「ルール」という、便利で散文的な言葉が、誤解の元だ。季語を筆頭とする「ルール」は、本来「心」の問題であり、集団の文芸たる俳句の、コミュニケーションの通路に過ぎない。
だからこの際、「マナー」と言い換えた方がいい。例外事項も多いし、人によって取り扱いが違ってもかまわない幅がある。公式ではない。
茶道の「宗匠」、俳句の「宗匠」
ここまできて、俳句の「マナー」の問題を考えるについては、茶道という鏡が浮かんでくる。茶道には季節の「マナー」が厳然としてあり、それは茶の「心」の本質に通じる。
岡倉天心は、不完全から完全を追求する過程を重んじる禅の思想が根底にある茶道では、あえて対称性が避けられていると指摘する(『茶の本』)。茶の世界は、俳句と同様、あえて余白を残し、茶に向き合う人間、あるいはその仲間の、身体や精神、季節感といった変化をこそ我が物とすることを理想とした。そこでの「マナー」が、絶対的・教条的なものであるはずがない。
そもそもマナーとそうでないモノの間には、国境のような線引きはない。むしろ、境界は面(フロンティア)であり、そこでは正統的なマナーと異端的な反マナーの両属性があって、それこそが面白い。
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 虚子
川を見るバナナの皮は手より落ち 同
同じ作者が、片や絵に描いたような日本的世界をしなやかな手つきで写生したかと思えば、逆におよそ伝統的な季節感など感じさせない無国籍な世界を無造作に詠んでも見せた。しかし、本人にはルール違反の意識などなかったろう。俳句のルールには、必ず例外があると言った男である。
冬枯の庭を壺中の天地とも 虚子
この人物の晩年の言葉には、「壺中の天地」というエッセイ(『虚子俳話』)があって、俳句も能舞台も茶室も、「融通無碍なる天地」だと言い切っている。ただし、別のところでは、茶道は形式(ルール)がやかましいから残ってきた面があることを認めつつ、俳句の場合、あまりにうるさいルールを求め過ぎると、「宗匠気どり」な「しゃっちこばった月並」になる恐れがあるとも語っている(『俳談』「茶」)ではないか。
形式はある点まではなくてならぬものだが、ただその人如何によって月並になったりならなかったりする。
何もマナーをルールにして、「警察」をやっている俳人の存否を問いたいわけではない。ただ、茶道のマナーから俳句を考える時、「人というものは大抵月並なんだから月並になりやすい」というこの俳人の警句は忘れずに行きたい、と思うだけである。
【執筆者プロフィール】
井上泰至(いのうえ・やすし)
1961年、京都市生まれ。上智大学文学部国文学科卒業。同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。現在、防衛大学校教授。著書に『子規の内なる江戸 俳句革新というドラマ』(角川学芸出版、2011年)、『近代俳句の誕生ーー子規から虚子へ』(日本伝統俳句協会、2015年)、『俳句のルール』(編著、笠間書院、2017年)、『正岡子規ーー俳句あり則ち日本文学あり』(ミネルヴァ書房、2020年)、『俳句がよくわかる文法講座: 詠む・読むためのヒント』(共著、文学通信、2022年)、『山本健吉ーー芸術の発達は不断の個性の消滅』(ミネルヴァ書房、2022年)など。
【井上泰至「漢字という親を棄てられない私たち」バックナンバー】
◆第1回 俳句と〈漢文脈〉
◆第2回 句会は漢詩から生まれた①
◆第3回 男なのに、なぜ「虚子」「秋櫻子」「誓子」?
◆第4回 句会は漢詩から生まれた②
◆第5回 漢語の気分
◆第6回 平仮名を音の意味にした犯人
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】