ハイシノミカタ【#5】「藍花」(川合牛蒡編集長)

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【俳誌ロングインタビュー】
ハイシノミカタ【#5】
『藍花』
主宰=谷中隆子・副主宰=大高翔
編集長=川合牛蒡



ハイシノミカタ」は、さまざまな俳誌を丸裸にしてしまう好評企画!
【#5】は、徳島・東京の二都市を拠点にしている俳誌『藍花(あいばな)』。
新・編集長の川合牛蒡さんに、じっくりとお話をうかがいました。


◎「家族」のようにのんびりと賑やかに

――「藍花(あいばな)」は昨年(2020年)で創刊25周年を迎えられました。まずは、創刊の経緯を教えてください。

川合 平成7年、1995年の3月に創刊しています。経緯としては、「山暦」徳島支部で、谷中隆子を中心に機運が高まったことが始まりで、「山暦」主宰の青柳志解樹先生に「藍花」の名をいただき、季刊として創刊することに。当時、高校生だった副主宰〔大高翔さん〕も、この時から藍花に参加していますね。

「藍花」編集長の川合牛蒡さん

――差し支えなければ、現在の会員数、平均年齢、発行部数なども教えていただけますでしょうか?

川合 2021年4月現在の会員数は徳島支部が約70名、東京支部が約30名なので、全体としては100名ほどの規模です。平均年齢は正確に数えたことがないのですが、20代から90代の方まで幅広くおります。発行部数はだいたい350部くらいです。

――「藍花」は徳島の結社ということになっているわけですが、編集部は東京と徳島の二都市体制ですね。これは非常にめずらしいと思うのですが、いつごろからこのような体制で運営されているのでしょうか。

川合 東京支部が発足したのは2018年の春です。大高翔さんの俳句講座や句会の常連メンバーが、引っ越すことになり、遠く離れた場所に移っても俳句の交流を続けられる環境を、ということになりました。それで、「藍花」の支部を新たに作り、副主宰を中心とした句会が始まりました。まさに結社という言葉の通りです。

――東京・徳島の二都市で、編集はどのように分担されているのですか? 

川合 編集作業については、最初は東京支部も少人数だったため、徳島の編集部に原稿の取りまとめなどすべてをお任せしていたのですが、1年もするうちに少しずつ東京支部の会員が増えてきたことと、入稿作業を副主宰の活動拠点である東京へと引継ぎたいという意向もあって、創刊25周年を迎える2020年春号から、印刷も東京の印刷所に変え、入稿作業を行うために、東京の編集部を立ち上げることになりました。

――25周年という節目は「藍花」にとってかなり大きなものだったのですね。引き継ぎなどはスムーズにいったのでしょうか?

川合 実際には、1年前の2019年の5月頃から、表紙や誌面デザイン、新企画についてなどの話し合いを(のんびり)始め、印刷所との下打ち合わせも行うなど、時間に余裕を持って引継ぐことができました。

――投句データの整理も東京の編集部が一括しているのですか? 

川合 投句については投句ハガキで行っていますので、徳島の会員分は徳島で、東京の会員分は東京で取りまとめ、両方を突き合わせて印刷会社に入稿しています。このようなスピード感でも二都市体制の編集部で運営できているのは、割と編集期間のゆったり取れる季刊誌というのも理由の一つとしてあろうかと思います。

――そのなかでの編集長のお仕事について教えてください。

川合 次号の台割りの作成を皮切りに、原稿の回収、印刷所へのデータ入稿(投句ハガキは実物入稿)、校正作業など一連の流れを編集人の方々と協力して進めています。あとは全体のディレクションでしょうか。編集人の中に、編集のお仕事をされているベテランの方がいらっしゃいますので、いろいろアドバイスもいただきながら、大変助けていただいています。表紙デザインは毎号変わりますので一人で行い、ページに余白があれば同ページに掲載されている句からモチーフを探して挿絵を描いたりもしています。

――「藍花」は、誌面の同人・会員欄も、徳島と東京で分かれています。副主宰の大高翔さんが東京にお住まいなので、東京近郊にお住まいの方は全員、川合さんも含めて大高さんの指導を受けているということなんですね。

川合 はい。東京支部の同人、会員は私も含め、すべて副主宰の指導を受けています。ただ、東京支部と言っても、先ほどのお話の中にあったように、遠方に引越しされた関西方面の方々もいらっしゃったりとしていますので、遠方の方については、メールや誌面を通しての指導になります。

――二都市に分かれているのとは対照的に、誌面全体からは小規模であることもあり、「家族」のような結社なのかなという印象を受けます。句会の数が少なくて済んでいるのは、それだけ多くの方が参加できる句会が多いということですよね。「玉匣」という顔写真つきの句友紹介を見ていても、アットホームな感じが出ています。

川合 そうですね、藍花の句会のすべてが、主宰・副主宰のいずれかに入っていただき、直接、句座を交える方法をとっています。そのため、開催数は絞っていますね。おっしゃるように、二都市に分かれているものの、それぞれ主宰、副主宰のもとのグループで活動していますので、「家族」というのは言い得て妙です。副主宰から聞いた話ですが、幼い頃より、大人たちが楽しそうに吟行したり、笑いながら句会をしたりしている様子を見ていて、和気あいあいと親戚が集まっているような印象を持っていたそうです。まさに賑やかな俳句家族といった様子でしょうか。

ただ、徳島と東京の会員同士はまだ直接会ったことがありません。創刊25周年となる2020年の春に、徳島で創刊25周年記念大会を開催し、そこで初めて東西の交流を図る企画を予定していたのですが、残念ながら、コロナ禍により中止となりました。ですので、いまだに誌面を通してしかお互いのことを知りません。そのなかで「玉匣」では、東京支部が発足してから、毎号徳島と東京のそれぞれ1名に、自選5句と自己紹介をしてもらう、貴重な交流コーナーとなっています。

――なかなか全体で集まることは少ないと思いますが、結社の雰囲気というか、特徴だと感じていることがあれば、教えてください。

川合 結社の雰囲気は、徳島も東京も共通して、マイペースでのんびりとしていることは誌面を通して実感しています。誌面を開くたび、お会いしてみたいという想いは募る一方ですが、それもまた二都市に分かれて活動している結社の楽しみの一つとしてとってあります。

句会風景「東洋文庫ミュージアムにて」(2020年2月)


徳島⇄東京で刺激を与え合うための誌面づくり

――創刊25周年記念で「投句はがきボックス」をつくられたそうですが、この企画について少しご説明いただけますか。川合さんご自身がデザインを担当されたとうかがっています。

川合 はい。それほど大袈裟なものでもないのですが…。副主宰から創刊25周年を記念して、会員の皆さんに喜んでもらえるものをプレゼントしたいと相談を受けました。「藍花」への投句は、全て投句ハガキ(84円切手で送れる縦長サイズのオリジナルハガキ)で集めていますので、その特殊サイズのハガキを各自が自宅で保管できるものとして、切手やペンなども一緒に収納できる厚みのあるメモリアルボックスがあれば良さそうということでつくることになりました。箱の形状は既成のものでちょうど良いものがありましたので、その包装として、様々な生活風景に馴染むよう、眼を凝らさないと見えないくらいの薄い色合いで、静かな印象の箱になるようにデザインしました。以下のサイトで閲覧が可能です。https://www.haguruma.co.jp/18769/download_details/view/2919/

――川合さんが編集長に就任されてから、すでにこれは変わったといえること、あるいは変えていきたいと思うことはありますか。

川合 もともと25年前に徳島で創刊された俳誌を引継ぎましたので、25年間という時の流れを、急な舵取りをしてびっくりしてしまうような、温度差でヒートショックを起こしてしまうようなことは避けたいと思っています。これまで培ってこられた取り組みを振り返ったりしながら、少しずつ新たな取り組みを加え、それぞれの生活リズムに合わせながら、ゆっくりと毎日の生活に馴染んでいくような場になれば良いなと考えています。過激なものでなくて、いつも寄り添うようにそこにあるという感じでしょうか。

――いまのところは、二都市体制になっても変わらない部分のほうが大きいということでしょうか。

川合 大きな目標を立ててどこかに向かうというよりも、会員の皆さんと句作を通して時間を重ねることで見えてくる何かを共に追い求めていきたい、と考えていきたいと思います。その中で結実したものが都度、誌面に現れることが理想です。今も、徳島と東京のページからそれぞれの地域の生活が見えてきて、互いに刺激を受けています。

――誌面のデザインなどについてはいかがでしょうか。

川合 誌面のリニューアルという点では、表紙を刷新したことは大きな変化です。表紙には、毎号石ころの実物大写真を掲載しているのですが、(もちろん表紙の紙は色褪せてしまいますが)私たちが時を重ねても変わらず居てくれるという「石」の持っている存在感に頼っています。掲載している俳句もそのような存在であって欲しいなと思います。

また、表紙の帯の色は「藍花」にちなんだ藍48色にして、12年間で48色すべてがひとまわりするようにも考えています。ちょうど2020年(子年)からスタートしましたので、干支がひとまわりすると次のタームになります。そのときに「藍花」を巡る風景がどうなっているのか、今から楽しみにしています。

――リニューアルにあたっての内容面での変化を教えていただけますか。

川合 中身については、句集や随筆集を6冊取り上げて鑑賞する、西浦風さん(東京同人)の「俳書探検」や、各俳句誌から心に残った句を取り上げて鑑賞する、松原由布さん(現在は関西在住の東京同人)の「名句彷徨」のページを新たに加えました。作句はもちろんですが、鑑賞する力、それを伝える力をつけたいと思っています。先述のように「いつも寄り添うようにそこにある」と言った時にいちばん恐れるのはマンネリ化です。そうなってしまわないように、誌面を通して会員同士が切磋琢磨して、力をつけていける企画を続けていきたいと思います。

余談ですが、前号に掲載しているお気に入りの一句を鑑賞する、その名も「わたしの好きな一句」のページがあるのですが、ものすごい変化球で鑑賞してくださる方がいて、一部の会員の間でどよめきが起こりました。その方は毎号送ってくださるので、その鑑賞文が決まった場所に掲載されるように永久欠番のように、見開きページの左上にコーナーを作ったりもしています。

――リニューアル後にはじまった企画として、大高副主宰の「翔句翔解」があります。いわゆる自句自解ですが、直筆の色紙がレイアウトされていることが特徴ですね。

川合 これまで副主宰の句を知っていた方でも、その背景についてあらためて深く知る機会が無かったものですから、こうやって毎号一句をしみじみ鑑賞ができるということで好評いただいています。また、自身の句を解釈する際に、どのように描写するのかということもよくわかって、非常に刺激を受けています。私のお気に入りは、やはり第1回の翔解ですね。

展望を書き春星を同封す 翔>

で書かれている「共に夢見ることを、手紙は可能にしてくれる。この世のたった一人に宛てて届ける。わたしの手紙も俳句も、届くべき人に届けば、それで充分。」は、新たな船出への決意表明のように私には響いてきます。

大高副主宰の「翔句翔解」

――川合さんの「訪問俳句」というコーナーも、2020年春号からはじまりました。趣旨としてはいわゆる「ひとり吟行」だと思うのですが、第一回は「東京メトロ銀座線渋谷駅」と、取り上げる場所がなかなかユニークですね。

川合 ありがとうございます。こちらについては本当に気まぐれで書いています。ルールとしては、過去に遡ったりせず、できるだけ今を取り上げようと、原稿を書く時期に訪れた場所について、写真+随筆+一句でまとめています。「訪問俳句」というのは、もともとは副主宰と一緒に行っていたイベントの名前で、その言葉から喚起されるイメージを気に入っていますので使っています。このページについては、特に反響はないのですが、毎号編集会議のときに副主宰と編集部の方に写真と原稿を披露して、その反応を確かめてから入稿しています。

――連載としていちばん力がこもっていると私が感じたのは、北島美智子さんの書かれている「東海道五十三次ウォーク」。2021年春号で第24回ですから、かれこれ6年間つづいています。

川合 北島美智子さん(徳島同人)の連載はこの第24回で最終回となるのですが、創刊20周年の時からスタートし、丸6年間の長期連載でした。きっかけは北島さんが東海道を歩き始めた時に、主宰が「旅行記を書いてみたら?」と提案されて、途中でやめてしまうかもと辞退されたのですが、それでもよいということで、それならばと書き始められ、原稿執筆と並走しながら無事にゴールされました。Sさんとの二人旅で、道中の歴史的背景から現代の生活風景、Sさんとのドタバタエピソードまでが面白く織り交ぜられていて、その内容はまさに現代版東海道中膝栗毛です。文章に添えられた地図も味わい深い手描きのものです。

――編集長として、これからチャレンジしたいことはありますか。

川合 先述のように、作句だけでなく、鑑賞する力、それを伝える力もつけたいと思っていますので、近作や最新というものにあまり囚われずに、俳句誌のバックナンバーや過去に出版された句集からじっくりと秀句を掘り出して鑑賞することにも力を注ぎたいと考えています。これらは「名句彷徨」のページで順次取り上げていく予定です。また、作句する上では、音楽×俳句、美術×俳句、建築×俳句のように、異分野との掛け合わせで生まれてくる表現も探求したいですね。

この2021年春号で、6年間に渡って連載していた「東海道五十三次ウォーク」という現代版東海道中膝栗毛が最終回を迎え、夏号からは「旅のおと」という世界音楽旅行記の新連載が始まります。音楽博物館の研究で博士論文をまとめられた井上裕太さん(30代の東京会員)にこれまで訪れた世界各地の音楽博物館を巡る紀行文を執筆してもらいます。今はコロナ禍で思うように外出ができない毎日ですが、この状況が落ち着いて、吟行が自由にできるようになれば、外の世界とつながる企画もどんどんチャレンジしたいですね。他の結社との交流も始まれば良いなと思います。

手書きの地図が味わい深い「東海道五十三次ウォーク」は2021年春号で完結した

◎副主宰・大高翔さんの今

――主宰の谷中隆子さんの存在は、川合さんからどのように映っていますか。

川合 まず、私はまだ主宰に直接お会いしたことがなく、副主宰から聞く中での人物像なのですが。あまり細かなことを気になさらず、遠くから大らかに見つめてくださっていますね。それこそ、俳句の経験の浅い私が編集長を努めることも受け入れてくださっているわけですから…。

俳句と仲間がいつも生活にあること、楽しく交流するなかで高め合っていくこと、それをずっと継続している主宰の姿は、東京にいるわれわれとも重なりますし、目標でもありますね。基本的には自由、ただ迷ったときには、すぐさま道を照らしてくれるような信頼があります。安心感で包んでいただいているのだと思います。

――副主宰の大高翔さんについてはいかがでしょうか。

川合 副主宰については、後でも触れますが、そもそも出会うことになったきっかけが少し変わっていますので、時として同じ職場で働く教員として、身近な俳句の先生でもありながら、共に俳句で新たな境地を拓いていく同志のような存在とも思っています。副主宰とは出会ってから10年目になりますが、会うたびにいつも新しい企画の話をして盛り上がってここまでやってきた感じです。

副主宰近景(2013年5月)

――大高翔さんは90年代から2000年代にかけて若手のなかでもひときわ光る存在でした。10代で第一句集『ひとりの聖域』を出版したことが話題となり、2000年より4年間、「俳句王国」(NHK)司会を務めていて、お母様の谷中隆子さんの結社に所属しながらも、それにはとらわれない活動をずっと続けられてきました。大高さん個人の活動と「藍花」は、どんなふうに関わってきたのでしょう。

川合 20代は、上京したばかりの大学生でありながら、「俳句王国」の司会や紀行文の連載といった俳句の仕事もあり、多忙を極めていたようです。時間的にも、物理的な徳島との距離といった事情からも「藍花」に深くかかわる余裕は、あまりなかったのでしょう。副主宰と結社は、10代からの関わりなので、へその緒でつながっているような深いものではあるでしょうが、表立ってというか、しっかりと関わる形になったのは、副主宰に就任した2015年ころからでしょうかね。(それまでは、一同人として、句やエッセイを「藍花」に掲載していたとのことです)

東京支部が発足するまでは、句会に参加している我々は、まったく「藍花」の活動について意識せずにいました。ただ、先述のように東京の句会でいつも会うメンバーが引っ越しされたりして、遠く離れた場所に移っても俳句の交流を続けたいという思いが高まったことと、副主宰になられたこともあって、2017から2018年頃から、副主宰個人の活動と結社の活動が、ぐっと結びつくようになったのではないかと思います。今では、新しい会員になられる方のほとんどは、まずは講座や句会を入り口にして俳句交流の場を体験されて、やがて「藍花」に興味を持ってくださり、賛同してくだされば、結社についてお話する機会が増えているように思います。

藝術学舎「こんにちは俳句2014冬」(2014年2月)

――お子さんがだいぶ大きくなったことも影響しているのかもしれませんね。ちょっと信じられないのですが、たしか娘さんはもう高校生くらいですよね。〈産みをへしことやすなはち花疲れ〉が収録されているのが、『キリトリセン』(2007年)ですから。

川合 そうですね。〈産みをへし〉の句のときのお子さんが高校生、〈子とゐれば朝昼夕と蝶に会ふ〉の句のときのお子さんが小学生ですから、主宰と同様に、母としての経験を重ね、お子さんを大きく育てられたことももちろん影響していると思います。句会では、副主宰の日常生活の話題が頻繁に登場しますが、二人のお子さんとのエピソードにいつも句会の場が和んでいます。

――川合さんご自身、大高さんと出会って俳句をはじめたそうですが、きっかけについて少し詳しく教えていただけますか。

川合 はい。私は2010年から京都芸術大学通信教育部というところで専任教員をしているのですが、その仕事の中で大学の公開講座「藝術学舎」の企画に携わることになりました。そこで、かねてより俳句に興味を持っており、2011年末に、俳句講座を企画することになりました。ただ、俳句については全くの門外漢でしたので、どういう先生がよいのかわからず、「結社」というのにも、ちょっとたじろいでしまうなぁと思っていた矢先、2012年1月19日放送の『グラン・ジュテ~私が跳んだ日』(NHK)というドキュメンタリー番組を観たのです。そこで特集されていたのが大高翔さんで、「この人だったらなんか話が合いそうだ」と直感して、大学でお会いしたというのがきっかけです。

――テレビでご覧になって、突撃したということですね(笑)

川合 その通りです。2012年5月17日にお会いした時のことは今でもよく覚えていて、講座を一緒につくっていた元事務員の佐川真理さん(現在、洛京という俳号の東京同人)と、われわれがどれほど俳句に夢中なのかを、初めて会った大高さんに熱弁して、打ち合わせのあとには興奮覚めやらず、御礼のメールに〈外苑の夏めく空に翔ける声〉と添えて送りました。思い返せば、これが初めて私が作った俳句かもしれません。

――2013年から川合さんと大高さんは「訪問俳句団」を結成して、対外的なプロジェクトを展開されていますが、この結成の経緯を教えていただけますか。

川合 はい。大高さんと出会ったきっかけからの流れですが、大高さんに公開講座「藝術学舎」の俳句講座を担当いただくことになり、私もコーディネーターとして講座に顔を出しています(2012年から現在も継続中)。その公開講座では、他にもさまざまなジャンルの講座が開講していて、講師控室で各講座の先生の専門分野の面白いお話も聞いていたので、そうであれば、「この先生をゲストにお呼びしてお話を聴いて、席題を出してもらって俳句を詠んでみよう」と思いつき、「先生たちの専門分野に訪問する」ようなイメージで「訪問俳句」というイベントを開催したことがきっかけです。

――さまざまな分野の専門家が集まる大学ならではの広がりですね。

川合 最初は季節ごとにキャンパスのロビーにプロジェクターをおいて、自由参加な感じでゆるく開催していました。でも、何度か開催しているうちに、今度はキャンパスから外に出て各地を訪問してみようという話になり、大高さんと二人でやっていたので「訪問俳句団」というユニットにして、2013年5月21日にプロジェクトをスタートさせました。

――パリにも「訪問」をされたそうですね。「パリパリ句会」という、おにぎりをたべながらのユニークな句会をされたとか。

パリ日本文化会館での「パリパリ句会」のようす(2016年12月)

川合 はい。「パリパリ句会」については、大高さんと何かの拍子にパリの話をしていて、「パリで現地の人たちと句会をやってみたいですね」と話が弾み、パリと言えば「パリパリ」というオノマトペが思い浮かんで、おにぎりを握って、パリパリの海苔を巻いて、みんなで食べて、俳句を作るというおにぎり句会をしてはどうかと、そんな企画を打診したところ、2016年12月のパリ日本文化会館で「パリパリ句会」を実現することができました。そのレポートは以下のサイトで閲覧いただくことができます。https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/essay/2547/

――残念ながら、わたしがパリに留学していたのは2015年末までなのでニアミスでした。

川合 キラキラと輝く夜のエッフェル塔の下でパリジャン、パリジェンヌと一緒におにぎりを食べて俳句を詠めて、本当に夢のような時間でした。堀切さんが今はその近くにお住まいということで、大変羨ましいです!

――「訪問俳句団」ではこれまでに多彩なゲストを招いての句会を開催されていますが、これまでで最も刺激的だったイベントは何ですか?

川合 そうですね。毎回どれも刺激的なイベントなのですが、やはり一番最初に開催したイベントで芸術家の松井利夫先生をお招きして「ふるさと」をテーマに句会をしたことでしょうか。

私自身は核家族で都市郊外の新興住宅地に育ったものですから、ふるさとがある人への憧れがあったのですが、松井先生との対話を通して、ふるさととはまるで蜃気楼のようなものだという発見があり、それを句にできたことは大きな収穫でした。また、そこで詠んだ句を松井先生が作った素焼きのお皿に呉須でしたためて、後日焼いて送ってくださったものは大切な宝物です。このように俳句と異分野との掛け合わせで何が生まれてくるかわからないのはとても刺激的ですね。

「訪問俳句」松井利夫さんの回(2013年5月)
松井利夫さんの回に生まれたお皿

◎「藍花」のこれから

――ちなみに徳島には「藍花」以外に、いくつくらい俳句結社があるのでしょうか?

川合 そうですね。角川俳句年鑑の2021年版では、現在の徳島県には8つの結社が掲載されています。先日、地元紙の徳島新聞で創刊25周年記念号のことを記事に取り上げてくださったのですが、同じ記事の中で、福島せいぎさんが主宰する「なると」が45周年を迎えられたということも紹介されていました。四国では、松山がもっともさかんですが、徳島はそれに次いでさかんと言えそうです。歴史のある結社もあり、俳句人口も多いですね。

四国八十八箇所霊場第22番札所「平等寺」にて主宰句碑建立のお祝い(2010年)

――徳島には豊かな自然がたくさんあると思うのですが、県外の俳人にもオススメの吟行スポットがあれば、教えてください。

川合 まずは何と言っても、鳴門の渦潮でしょうか。奥村土牛の描いたような美しいエメラルドグリーンの中に渦巻く渦潮は圧巻です。また、雄大な吉野川河口の風景や、徳島の街を見晴らせる眉山祖谷のかずら橋も欠かせません。そして、第九のアジア初演の地であることや、阿波踊り人形浄瑠璃などの文化にも触れていただきたいです。海も山も川もあるので、その恵みの食べ物も豊富です。鳴門鯛にわかめ、鳴門金時、すだちや柚子。あと忘れてはならないのは、藍です。阿波藍は徳島の誇りです。近年では藍の美しさと効果が見直され、布だけでなく革製品、建材やサーフボードなどにも藍染のものが出てきています。

――「藍」は、徳島らしい色なのですね。ぜひ旅行で立ち寄りたいと思います。結社内の賞としては、「蒅賞」があります。未発表15句で競われる賞ですが、創立当初からあったわけではなく、今年が6回目ですね。結社賞をはじめたきっかけ、あるいはその効果などを教えてください。

川合 きっかけとなったのは、副主宰の講座での「ミニ句集制作」です。約3か月の間に詠んだ句を厳選し、並びを工夫したり、新作を加える作業を経て、最終的に「タイトルと15句」の構成として、一枚の用紙にまとめて提出、それを読み合い、評価し合うんですね。

この試みは、多作する力や推敲する力などを高める働きがあるということで、副主宰から主宰にも伝え、藍花全体で取り組もう、ということになったそうです。「蒅賞」では、句会などで発表したものは出せないので、条件としては講座の「ミニ句集制作」より厳しいのですが、応募者が増えていて心強いです。それぞれが自分らしいテーマを探すきっかけになったり、作句量が劇的に増えたりと、かなり意欲的な姿勢が生まれ、効果を実感しています。いつもの句会は、真剣ながらものんびりと楽しむ雰囲気ですが、「蒅賞」においては、より真剣勝負で情熱的かもしれませんね。

――いまは新型コロナウイルスの影響でなかなか難しいかもしれませんが、結社のイベントなども充実していますか。

川合 今はコロナ禍で中止していますが、例年は、徳島では、1月に新年大会があり、あとは鍛錬会やお花見吟行、バスを貸し切っての関西への吟行など、その時々のアイデアで行っていました。

コロナ禍前ですと、東京では、秋に一泊吟行旅行や新米でのおにぎり句会、年末の忘年句会、立春ごろの新年句会など、ありました。横浜などへの吟行も二か月に一度くらい開催していましたね。

丹波柏原への吟行旅行 料亭「三友楼」にて(2019年10月)

――SNS(Twitter、Facebookなど)を活用されるご予定はありますか。ウェブ上の窓口としてはホームページがあるので、それで十分なのかもしれませんが。

川合 今のところSNSの活用は考えていませんね。素早く広く情報共有できるメリットはありますが、われわれのスピード感からすると、メールでも十分に機能を果たしています。コロナ禍で、対面句会ができなくなってからは、メール句会に切り替えましたが、投句をまとめる幹事役の作業が煩雑になるので、近頃は「夏雲システム」を使用させていただいています。これによってずいぶんと作業負担が軽減されました。WEB上の窓口としては、副主宰のホームページと、藍花のホームページがあり、どちらからもお問い合わせいただけるようになっています。

――現在の「藍花」を代表する作家を何名か、作品とともにご紹介いただけますでしょうか。

  落花舞ふ世界は我と我以外  市川逸庵

  帆柱(マスト)まだ折れぬ破船や寒北斗  田中かんな

  山桜釈迦三尊の海へ向く  谷中賀津代

  初蝶の行方は風の湧くところ  西浦 風

  紅葉して岩信仰の山静か  平間槐

  全身を風にあづける昼寝かな  松井秋尚

  二ン月やデパ地下恋の匂ひして  真鍋小竹

  夕焼を大借景に羽田発つ  村井昭三

  降る雪に野山の機嫌問ふてみた  渡 忍

――ありがとうございます。最後に、「藍花」の入会、あるいは句会見学の方法を教えていただけますでしょうか。

川合 先述のホームページからメール連絡をいただけましたら、入会についてや直近で開催している句会見学などをご案内させていただきます。ご興味ありましたら、ぜひお待ちしています。

――二都市を起点にますます「家族」の絆を深めていってください。東京支部の活動の広がりも楽しみにしております。本日はありがとうございました。

徳島鷺島吟行「あななんアリーナ」大高副主宰の扁額前にて(2020年3月)


【今月の編集長】川合牛蒡(かわい・ごぼう)
1975年生まれ。滋賀県大津市出身。2013年「訪問俳句団」を大高翔と結成。2018年「藍花」入会。2020年「藍花」同人・編集長。

【藍花俳句会について】
1995年3月、主宰・谷中隆子が徳島にて創刊。2015年より副主宰・大高翔、2020年より編集長・川合牛蒡。季刊誌として発行。通巻100号となる2020年に誌面のリニューアルを行い、東京・徳島の二都市体制となる。

ホームページ:https://aibana-haiku.themedia.jp/


【「ハイシノミカタ」バックナンバー】
>>【#4】「100年俳句計画」(キム・チャンヒ編集長)
>>【#3】「街」(今井聖主宰・竹内宗一郎編集長)
>>【#2】「奎」(小池康生代表・仮屋賢一編集長)
>>【#1】「蒼海」(堀本裕樹主宰・浅見忠仁編集長)



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