闇よりも山大いなる晩夏かな 飯田龍太【季語=晩夏(夏)】

闇よりも山大いなる晩夏かな

飯田龍太

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飯田龍太最後の句集である第十句集『遅速』所収。晩夏の夜闇の深さに対比されて、郷の一帯を包み込む山の懐の大きさが眼前に浮かんでくる。

そんな情景としての妙ももちろんだが、掲句は韻律としてもこれ以上ないくらいに秀麗であると思う。「yami」「yama」と、ほぼリフレインといってもよいかたちで近似音が上五・中七それぞれの頭に置かれ、初手からリズムの統制が与えられる。だが直後にはその緊張から読者を一旦解放するように、「大いなる」という緩やかで伸びやかな間奏。続いて濁音と撥音の組み合わせにより、快く身が引き締められるような緊張感がもう一度与えられ、そして最終的に、まるで切れ字の歴史のすべてを背負っているかのように決定的な「かな」が、満を持しての極上の余情を読者に贈る。a音とo音を基調とする全体的な音の構成は、晩夏の闇と山の懐の深さを感覚的に現前させてくれるようだ。

私は、この句のために自分のなかでの「晩夏」のイメージが支配されてしまったと思う。「支配」というより「統治」と言うべきか。現実の法治国家的な統治と同じように、良い部分も良くない部分もある。龍太の晩夏に包まれる安寧観、帰属意識を感じるという点では自己充足につながっているのだけれど、あまりにもそこに安住してしまうわけにはいかないとも思う。いつかそこから旅立って、別の晩夏の風景を見てみたい気がする。

ところで、前々回大井雅人の句を取り上げたとき、その第一句集『龍岡村』における龍太執筆の跋文を引用した。そこで龍太は、「雅人の作品には、比較的友とか父とか妻とかいった言葉が多く入る特徴がある。このことに関する限り、一般的に言えば、賛成し難いことだろう。(中略)無意識のうちに観念に甘えた感傷の脆さが出る」と、自分の身内を表す語句を句にいれることの是非について述べていた。

しかしながら、こう述べている龍太自身の句においても、肉親を詠んだものがなかなかに目立っていることは指摘しておきたい。

抱く吾子も梅雨の重みといふべしや

妻の秋梢かたむく青南瓜

冬ふかむ父情の深みゆくごとく

(以上、『百戸の谿』より)

二児寝しや一路夕浸む夏木叢

母の箒音梅雨花かげにまたおこる

亡き父の秋夜濡れたる机拭く(「十月三日 父死す 十句」のうちの一)

(以上、『童眸』より)

蛇笏忌の秋山霞み果てもなし
(「十月三日蛇笏三周忌 七句」の前書で、以後「蛇笏忌」「山盧忌」の句が数句続く)

病む母に三日月聡き春の山
(前書 「母腹部手術 六句」のうちの一)

春風に眼小さくなる老母(〃)

(以上、『麓の人』より)

母逝きしのちの肌着の月明り
(前書 「十月二十七日母死去 十句」のうちの一)

妻が出るたびに薄暮の寒き音

父母の亡き裏口開いて枯木山

冬耕の兄がうしろの山通る

子の皿に塩ふる音もみどりの夜

(以上、『忘音』より)

雅人の『龍岡村』が昭和四十一年の刊行であり、その時期が入る龍太の句集は『忘音』なので、そこまでの句集の中から、肉親に関わる語句(『蛇笏忌』や『山盧忌』も含め)の入っている句を抄出した(抄出なので、上記のほかにもまだ肉親を詠んだ句はある)。それ以降の句集では徐々にそうした句は目立たなくなっていくように見えるので、「無意識のうちに観念に甘えた感傷の脆さが出る」と自身が『龍岡村』跋で述べたことを自戒としていたのかもしれない。とは言っても、こうした龍太の肉親に対するまなざし、とりわけ『童眸』や『麓の人』における父母の逝去に際した句からは、ひとしおの感傷を受け取らずにはいられない。

また、筆者個人としては、これら以上に深いセンチメンタリズムを覚えるのが、龍太の次女純子が六歳のときに小児麻痺で亡くなった際の句群である。

(前書 「九月十日 急性小児まひのため病臥一夜にして六歳になる次女純子を失ふ 四句」

露の土踏んで脚透くおもひあり

花かげに秋夜目覚める子の遺影

抱かれ来て亡き姉の辺に置く林檎

父母を呼ぶごとく夕鵙墓に揺れ

これらは『童眸』に収められている。昭和三十一年のこと。

自解で、そのときの状況を龍太はこう語っている。

 石和の遊園地に遊びに行って一週間後、急に頭痛がするという。風邪だろうと思っていると、みるみる悪化してその夜半には昏睡状態になってしまった。入院して私の血を輸血しているうちにこと切れた。(『飯田龍太全集 第四巻』より)

このときの龍太の哀しみが容易に量りようもないほど大きなものであろうことは言うまでもないが、さらに悲愴なのは、龍太の父であり亡児の祖父、つまり飯田蛇笏のこのときのふるまいである。

父は、死んだ孫の草履袋と色鉛筆と靴をそろえながら号泣した。それまでひとり、最後までこらえていたがこらえかねたのだろう。(同書)

なお、この自解文は「前書のとおりの内容だ。あまり触れたくない。かと言って素通りするわけにもいかない。致し方ないことである」という断りから始まっている。『龍岡村』跋で自ら釘を刺したところの「観念に甘えた感傷の脆さ」、それに対する龍太自身の葛藤が見えるようだ。

(山川太史)


【執筆者プロフィール】
山川太史(やまかわ・たいし)
「とちの木」「いぶき」会員。現代俳句協会所属。
X: @tane_kokugo
note:https://note.com/yamakawataishi



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