離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人【季語=夜の秋(夏)】

離職者が荷をまとめたる夜の秋

川原風人

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「離職者」というのは、社会において交わされる言語のなかではごく一般的な言葉なのに、詩に組み込まれれば途端に異様な気配をまとうものなのだと気づかされる。そんな言葉がいきなり句頭に置かれて、読者としては揺さぶりかけられるような感覚を受ける。

もちろん、「離職者」という言葉が世の中ではごく一般的な言葉だと言っても、それこそ一般論の上でのことであって、「離職者」という言葉自体はかなりナイーブな性質のものであると思う。受け取る人それぞれによって、この言葉をめぐる情趣はさまざまなものがあるだろう。だから、この句から描かれる情景も読み手によって極端に分かれるかもしれない。筆者としては、作者の川原風人が教員だということを知っていたし、過酷な労働環境である教員という職業は、そのなり手がかなり不足しているという社会問題も人並みに耳にしてきている。それで、この「離職者」は心身を病んで先生を辞める人なのだと想像した。季語が晩夏の「夜の秋」だから、1学期をなんとか勤め上げ、夏休み中にひっそりと学校を去っていく先生。

川原風人は「鷹」の同人で、2018年には鷹新人賞、また2021年には鷹俳句賞を獲っている、まさに同結社気鋭の若手と言える方。掲句については、同結社WEBサイト内「鷹の俳人」という同人紹介ページに掲出されている氏の自選15句から引用させてもらった。同作品には〈影連れ立つ相談室の寒灯に〉という、やはり学校という環境のセンシティブな側面を想像させる句がある。

筆者がこの俳人を初めて知ったのは、角川『俳句』2022年2月号、「結社賞受賞者競詠」と題された特集であった。42の俳句結社から、それぞれの内部賞を獲得した俳人が紹介され、彼らによる新作7句が掲出されるという企画である。そこに前年度の鷹俳句賞の獲得者として川原風人が名を連ねていた。

そこで掲出されていた7句のなかでは

オイスターバーギターケースが一席占む

という句を特におもしろいと思った。「オイスターバー」や「ギターケース」も、「離職者」や「相談室」などと同様、いかつい手触りのある現代語であるが、こうした言葉をあえて無遠慮に入れて、現代社会の写像であるような際どいバランスを持った句を詠むのが、川原風人のひとつの作風なのだと思う。

ところで、これは今〈オイスターバー〉の句を打ちこんでいて思ったことなのだけれど、この句は縦書きよりも横書きの方が映える気がする。「俳句」誌面では当然縦書きで載っていたのだが、四つも畳みかけられる長音記号の縦線に対して、「一席」の「一」の横線が視覚的に違和をもたらすように感じた。ともすると、その歪さは作者の狙っていたところなのかもしれないが、この表記の不和はいたずらに享受の妨げになるばかりのように思う。むしろこの句は長音の連続や句跨りの醸す破調によって下五までがぬるりとだらしなく癒着してゆく感じがおもしろく、横書きにすれば長音記号と漢数字の「一」がともに横線でひと並びになり、その癒着の感覚を視覚が邪魔しなくなるのだ。またその一方で、長音が畳みかけられたあとの「一席」という唐突な促音がリズムのスパイスになってはいるのだが、この韻律面での仕掛けは表記面に表れていない方がおもしろいのではないかと思う。つまり、外形的には五本の横線がひと並びに見えることで、この句の「全体的な破調のおもしろさ」と、「長音と促音のコントラスト」の両者がうまく引き出されると思うのだ。

コップの水・冬木・夥しき鴉

ふてぶてしきハムの塊冬館

春暁のつめたき釦ひとつひとつ

ジャニス・ジョプリン吊革握り聴く暮春

件の「俳句」2022年2月号および「鷹」WEBサイト上に掲載されている他の句をいくつかあげてみた。このすべてが縦書きより横書きが向いているとは言わないが、横書きにしてみれば、縦書きとはまた別のかたちで光り出すように思う。カタカナ語をよくつかうという作風も関わっているかもしれないが、こういう横書きで個性を発揮できる句が彼の作品には多いのではないか。

本サイトもそのひとつであるが、昨今インターネット上で俳句を横書きのかたちで味わうことが増えている。そのことの是非については、「いぶき」の共同代表中岡毅雄による考察があり(「横書き俳句への危惧」、『壺中の天地』85頁―88頁)、その中で中岡は、インターネットメディアで横書き俳句を見慣れてしまえば、鑑賞能力が鈍ってしまう可能性があることを指摘している。筆者としてはその意見におおむね同意するところなのであるが、こうして横書きでも光る句を目の当たりにしてしまうと、この方面についてはさらなる探究の余地があると思わずにいられない。

なお、中岡毅雄の同稿においては、「鷹」主宰・小川軽舟の見解(インターネットという新しいメディアにおける横書き俳句の受容はいたずらに忌避しようとすべきではないという考え。2008年版「俳句年鑑」より)や、かつて「鷹」所属だった小澤實の見解(縦書きにするか横書きにするかは俳句にとって本質的な問題だというもの。『俳句のはじまる場所 実力俳人への道』より)が紹介されている。偶然に過ぎないのかもしれないが、「鷹」に関わる人々から、こうして俳句の縦書き・横書きについての多様な問題提起がなされているということ、また同結社の有力な若手・川原風人の作風から横書きへの親和性を感じられるということは、なかなか興味深いことだと思う。

(山川太史)


【執筆者プロフィール】
山川太史(やまかわ・たいし)
「とちの木」「いぶき」会員。現代俳句協会所属。
X: @tane_kokugo
note:https://note.com/yamakawataishi



【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女

【2025年7月のハイクノミカタ】
〔7月1日〕どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子
〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり
〔7月3日〕合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉
〔7月4日〕明日のなきかに短夜を使ひけり 田畑美穂女
〔7月5日〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
〔7月6日〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
〔7月7日〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
〔7月8日〕夏の風子の手吊環にとどきたる 大井雅人
〔7月9日〕かたつむり会社黙つて休みけり 加藤静夫
〔7月10日〕章魚濁るむかしむかしの傷のいろ 瀬間陽子
〔7月11日〕ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 飯田蛇笏
〔7月12日〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
〔7月13日〕おやすみ
〔7月14日〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
〔7月15日〕子午線の町の風波梅雨に入る 友岡子郷
〔7月16日〕夏夕べ撫でつつ洗ふ母の足 柴田佐知子
〔7月17日〕蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇 冬野虹
〔7月18日〕宿よりは遠くはゆかず夜の秋 高橋すゝむ
〔7月19日〕蟬しぐれ麵に生姜の紅うつり 若林哲哉
〔7月20日〕換気しながら元気な梅でいる 平田修
〔7月21日〕恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
〔7月22日〕闇よりも山大いなる晩夏かな 飯田龍太
〔7月23日〕ハイビーム消して螢へ突込みぬ 岩田奎
〔7月24日〕水蜘蛛を孕むまぶしい仮眠かな 未補
〔7月25日〕夕立の真只中を走り抜け 高濱年尾
〔7月26日〕短夜をあくせくけぶる浅間哉 一茶
〔7月27日〕空蟬より俺寒くこわれ出ていたり 平田修
〔7月28日〕おやすみ
〔7月29日〕夏帽子大きく振りて角曲がる 大角泰子
〔7月30日〕どの部屋に行つても暇や夏休み 西村麒麟
〔7月31日〕水羊羹のなかに棲みたる遠さかな 佐々木紺

【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕なし

【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二

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