あぢさゐはすべて残像ではないか 山口優夢【季語=紫陽花(夏)】

あぢさゐはすべて残像ではないか

山口優夢 

異論があるかもしれないが、私はこの句からたくさんの花よりも、まずはせいぜい、ひとつかふたつほどの花を思い浮かべる。つまり、ここでの「あぢさゐ」は、ひとまずは小さな花弁の色合いのグラデーションのことを指している。しかしそこから今度は、紫陽花のつづく長い道のような大きな景が見えてくる。その二重性が、まるで言葉の「残像」のようにも感じられてくる一句だ。『残像』(2011)所収。(堀切克洋)

関連記事

サイト内検索はこちら↓

アーカイブ

サイト内検索はこちら↓

ページ上部へ戻る