食欲の戻りてきたる子規忌かな 田中裕明【季語=子規忌(秋)】


食欲の戻りてきたる子規忌かな

田中裕明

本日、9月19日は「子規忌」である。

現代俳句の美学の礎をつくった理論家である正岡子規の命日だ。激動の20世紀がはじまったばかりの1902年のことだった。

よく知られている句としては、岸本尚毅に〈健啖のせつなき子規の忌なりけり〉があり、こちらは短命だが大食らいであった子規の人生を謳ったものだ。「健啖がせつない」という措辞が生まれるのは、えてして作者が健康だからだろう。

一方で、田中裕明は2004年に白血病により享年45歳で早世した。掲句は、亡くなる2年前に出版された第4句集『先生から手紙』(2002年)のなかに収められている。子規の死からちょうど100年目のことだった。

裕明には、〈ねそべりて手紙を開く子規忌かな〉という句もあり、少し思わせぶりな言葉遣いではあるが、それほど身動きがとれない人間の姿を想像してみると、こちらも自身と子規を重ね合わせているようで、せつない。

せつない、と書いてしまうのは、やはり私がいまのところ「健康」だからである。「長生き」の人間にとって、26歳で亡くなった石川啄木も、37歳で亡くなった宮沢賢治も、(自殺ではなく)病気が原因で亡くなった文学者のセンチメンタリズムは、究極的には「わかりあえない」のかもしれない。

相対的にみれば、早世する俳人のほうが少ない以上、現代俳句史は「子規への共感のできなさ」という重石を背負わされているともいえる。

岸本尚毅には〈ある年の子規忌の雨に虚子が立つ〉という句もあるが(『感謝』)、この小説的な語りは、まさしく「子規」という存在を遠くに葬り去ろうとしている句の典型だろう。「健啖のせつなき」というのも、一見すると「共感」しているように見えるが、そうではない。それは「健啖」と「早世」の関係が対立的な論理として了解されてしまうから、「せつない」のだ。

その意味で、子規の没後100年のあいだに、「子規への共感」をベースに子規忌を詠んだ数少ない俳人のうちのひとりが、田中裕明なのである。

裕明の墓は、大阪府能勢町の常慶寺にある。墓標に記されているのは、〈爽やかに俳句の神に愛されて 裕明〉。この句には、「発病」という前書きがあるのだから、やはり多くのひとびとは「神なき世界」に住んでいるのだ。それでも、闘病する裕明がいたことで、世界はバランスがとれていたのかもしれない。

さて、裕明がいない世界では、ふたたび「子規への共感のできなさ」が幅をきかせてしまっている。「子規忌」から数日後には、「敬老の日」が控えていることが象徴的だ。

ちなみに〈なんとなく子規忌は蚊遣香を炷き〉、これも裕明の句だが、闘病などとは無縁の若かりしころの作品である。

(堀切克洋)


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